Part 22002.6.28 ・◆・白文鳥
ぱさりと軽い音を立ててスローモーションのようにシャツが宙を舞い、椅子の背もたれに掛かった。ゆっくりとオスカーはアンジェリークに向き直った。
そのオスカーを前にして、文字通りアンジェリークは固まっていた。
え?え?どういう事?
なんで脱いじゃうの?
それとこれと何の関係があるの?
だいたい普通そういう事ってするかしら?
女性の前で不謹慎じゃない?
私は対象外だから、気にしてないって事?
それはそれで、…ちょっと不満だけど。
でも、本質?これが?魅力は…わかるかもしれない。
初めて見た、と思う。オスカーの黒いシャツの下を。服に隠れて見えなかったその上半身は無駄のない筋肉で構成されていて、まるで彫刻のよう。でも大理石の冷たい形と違って確かに生きている力強さがそこにはみなぎっていた。
オスカーは自信満々な笑みを浮かべたまま、アンジェリークの顔を覗き込んだ。
「どうした、お嬢ちゃん。俺の魅力は理解出来そうかな?」
そんな…『はい』なんて言ってもいいものなの?
それともオスカーの周囲にいるレディはそう答えるの?
私だってもうそろそろお嬢ちゃんは卒業したいわ。
少し気の利いた事言ってみたいけど。
「で、出来そうです…。」
「それは嬉しいな。」
オスカーはわざとと軽く驚いてみせて、楽しそうにした。しかし少なくともそれはこんな情況で少し秘め事のある男女の会話を楽しんでいるというよりは、お子様相手に笑っているという風に見えた。
別に男性の上半身の裸を見るのは初めてじゃない。
偶然だけど、ゼフェルやランディが湖で遊んで?喧嘩して?いる時、
見たこともあるし。
リュミエールの水着姿だって見たことある。
だけど、だけど。
違うの。
これまで見たどんな男性のとも、何かが違うの。
何が違うのかって…
オトナの男性だから?
そりゃあそういう意味ではゼフェルやランディとは全然違うわ。
鍛えられた体だから?そうかもしれない。
でもただ鍛えられた体だというのなら、リュミエールだってなかなかだと思う。
得意じゃない割にはとても泳ぎが上手だし。
でもこんな気持ちが湧き上がった事は無かった。
これがオスカーの魅力なの?
アンジェリークが固まったまま次の言葉も出ず彼を凝視していると、オスカーも何かを見極めようとするようにじっと彼女を見つめていた。二人の間にしばし沈黙と緊張が流れ、そしてオスカーは一歩近づいて彼女の頬に手を当てて言った。
「無理をするな、耳まで真っ赤だぜ。…悪かったな。だがな別にからかったわけじゃないぜ」
「うそ!オスカーはいつもそうやって私をからかっているじゃないですか!第一失礼です!レディの前で脱ぐなんて!それにハ…ハダカが魅力なんて!」
「見知らぬレディの前で脱ぐなら失礼にあたるが、親しいレディの場合はそうとも限らないんだぜ?むしろ歓迎される事が多い。」
今度はオスカーはアンジェリークの頭を撫ぜていた。からかっていないと言ったが本音はアンジェリークの反応を楽しみたいというそんな気持ちがあったかもしれない。
「お嬢ちゃんは俺にとって親しいレディ候補だと思っていたんだがな。俺の独りよがりだったのか?」
そう言うとオスカーはくるりと向きを変えてシャツを身に着けた。一瞬視界に入ったオスカーの逞しい背中がアンジェリークの目に焼き付いた。
アンジェリークは自分の中にもっとこのままのオスカーを見つめていていたいという気持ちに気が付いた。はしたないとか恥ずかしいという気持ちはなく、本当に素直にオスカーを見ていたいと思っていた。それほど彼の肩から背中にかけてのラインは逞しくて輝いて見えた。
「背伸びをしなくてもいいさ。やっぱりお嬢ちゃんはお嬢ちゃんだ。そのままでいい。」
「そのまま…ってそれじゃあ私全然進歩ないみたいじゃないですか!」
ぷんと膨れる彼女の表情がかわいいとオスカーは思った。
「だって本当にステキだと思いました。嘘じゃありません。…そりゃあ、少し恥ずかしかったけど。いつまでもお嬢ちゃんじゃなくて、いきなりは無理だけどいつかはオスカーのハ…ハダカの魅力も全部わかるステキなレディになりたいと思ってるんですから!」
「ハハ…期待してるぜ。」
「そうしたら、私だって…!」
あっと言う顔をしてアンジェリークは言葉を止めた。
オスカーの隣が似合うレディになったからといって、自分が彼の恋人になれるわけではないのに何を言い出そうとしたのだろう。アンジェリークは恥ずかしくなり下を向いてしまった。
「そうしたら?」
「………なんでもないです。」
オスカーは少し笑ってそしてアンジェリークの頭を撫ぜた。綺麗に結った金髪と髪飾りが少し歪んでしまった。
「ああ、すまない。つい、クセでな。」
候補時代の赤いリボンの頭も時々こうして撫ぜられて、怒っていた少女の顔が思い出される。
「今日は怒らないのか?」
「自分がまだまだだって自覚してますから。」
「そういうセリフが出るという事は、なかなか進歩してるぜ。さっきの言葉は撤回しよう。君は確実にレディなりつつある。」
オスカーに認めてもらえたようなその言葉が嬉しくて、ぱっと顔を上げると思わず微笑んでいた。その微笑にオスカーはまた一つアンジェリークが美しくなっている事に気付かされた。
「そうしてどんどん魅惑的になっていく君を傍目にみていて、俺がどれだけ気を揉んでいるか、そこまで察してくれたらもっとうれしいんだが。気分は孔雀や極楽鳥のオスだな、まるで。」
今度は鳥の話が出て、先程までの話とどういう関係にあるのか解らずに、アンジェリークは返答に詰まっていた。さっきからオスカーの言動は理解に苦しむ事ばかりだった。首を傾げてオスカーの次の言葉を待つ。
「鳥や動物は伴侶を決める決定権がメスにあるんだ。オスには子孫を残す能力はないからな。そうするとオスはどうすると思う?自分の子孫を残す為には如何に自分が優秀な遺伝子を持っているか、メスにアプローチしなくちゃならない。」
「極楽鳥や孔雀のオスは美しい羽を沢山もっていて、必死にメスの気を引く。まさにそれと同じ気分だと言っているんだ。」
「ああ!だからオリヴィエはあんなにキレイに?でも誰の気を引くんでしょう?」
オスカーは、は?という顔の後、少し眉をひそめた。
「お嬢ちゃん…ここで、俺の前で他の男の名前は出さないで欲しいな」
「だって極楽鳥なんていったら、オリヴィエの事じゃないんですか?」
オスカーはううむ…と唸ってから気を取り直して続けた。
「そうじゃないんだ。オリヴィエは関係ない。たとえが悪かったな。じゃあ直接的な会話に変えよう」
「こう言えばわかるか?君は俺の魅力をもっと知りたいと言ってくれた。だから俺はこのチャンスを生かして、鳥や動物のオスよろしく、君に俺の魅力を誇示してみたんだが…効果はあったのだろうか。」
「君がいつまでもお嬢ちゃんでは無い事ぐらいはとっくに解っている。だが…だからと言って君が俺に魅力を感じてくれるかどうかは別問題だからな。どうだろうか…俺は君に選ばれる価値があるだろうか?」
「選ばれる…?」
「そう。要は俺は君の好みかどうか、気になっていたんだ。…さっきは俺にとっての最初の賭けだった。君の反応を見たかったんだ。」
「オスカーの魅力がわかるかどうか聞いた事?」
そう、分かりすぎるくらいに分かる。
私はオスカーの魅力がわかる。
だってこうして彼に間違いなく惹かれているもの。
「そうだ。」
これ以上の気持ちを自分で認めるのが怖くなってきた。このまま見つめていたら確実に彼の炎に巻き込まれてしまう。彼は大人で恋愛には長けている。そして自分は全くと言っていいほどの初心者である。今、このまま進んでいいのかどうかも解らない。
しかしオスカーの見下ろすその瞳は楽しそうに細められて、また一歩近づいてきた。
「俺の魅力をわかってくれたなら、『お嬢ちゃん』は本当に卒業だな。レディになった君と俺はもう少し距離を縮めたいと思っている。」
「わ、私は…まだ、まだお嬢ちゃんです。」
「そうか?」
「そうです。オスカーの魅力はとてもよく分かりますけど、でも…。」
わずかに視線をそらせてそれだけ言うのが精一杯であった。
「アンジェリーク…。」
夢かもしれない、これはもしかしたら自分の都合のいいように解釈した夢。
「君の前では宇宙で一番のプレイボーイでもなく、仕事に真面目な守護聖でもなく、ただの男、何も飾らないただの男でいたい、と。そう思っているんだぜ。」
そしてまたオスカーはアンジェリークの髪に手をやった。
「きっちりと結い上げたこの髪型も魅力だが、以前のように自然に降ろした髪、素のままの君の表情も見たいと俺は思う。」
「どうだろう、俺と君の距離は狭める事ができるのだろうか。」
オスカーはそしてもう一歩アンジェリークに近づいた。間近になったオスカーの姿が逆光に浮かぶ。圧倒されそうなその雰囲気に怖いようなここにいてはいけないような気持ちに襲われ思わず一歩後ずさりしてしまった。
「あの…私はこれで…失礼します。この話はまた今度。」
一瞬頭に浮かんだのはこの場から逃げ出す事だった。しかし体の向きを変える前にオスカーに腕を掴まれ、その拍子に思いっきりファイルや資料をぶちまけてしまった。
「おっと、すまない。どうしても今君に逃げられたくなかったもんでね。」
顔が火照る。
熱くて、…恥ずかしい。
拾おうとしたアンジェリークを軽く手で制し、オスカーはアンジェリークのの足元にかがんだ。跪き素早く落ちた物を揃えて手渡す仕草。その大きな手も腕も…何故か優雅に見えるのはどうしてなんだろう。そして半ばぼんやりと彼の背中を見つめてしまう。
さっきも思ったけど背中にも筋肉ってあるんだ…
後姿も…きれい
この黒いシャツの下があの背中なのね…
「どうぞ。」
うやうやしく書類を渡す姿はまるで物語の中の騎士のようで、ただ一人の姫君に仕え忠誠を誓う騎士のシーンを思い出させた。
「は、はい。ありがとうございます…」
受け取る手が震えてしまうのは仕方が無い。こんな状況には慣れていない。オスカーが立ち上がった時また少し距離が縮んでいた。
声が出ない。声にならない。
目の前にオスカーの広い胸があった。大きくて厚くて…自分とは全然違う。
そう、全く違う美しい生き物がそこにいるような。
これがオスカーという男の人、という事なんだ。
見上げれば優しい色合いを秘めたアイスブルー。いつもはもっと高い位置にあるのに今はとても近い。
これは…これは何の香り?
オスカーのコロンと、それから…何だろう。
でも全然嫌な匂いじゃなくて、むしろ…
「あの…もうかなり近くにいると思います。」
「そう思うのか?だが俺はもっと君に近づきたい。俺は君の一番になりたい。」
私の一番?
私の一番親しい人という事?
今は…ロザリアかしら。
いいえ、ロザリアは女性だもの。違うわね。
男性で一番親しいのは…元々オスカーじゃなかったかしら。
「私オスカーより親しくしている男の人、いないです。」
「そういう意味の親しさじゃない。オトモダチの話じゃないんだ。わかるだろ?」
これは私の期待していることでいいのかしら?
「返事を…何か言ってくれないか、アンジェリーク…。」
「私、オスカーの事もっと知りたいって思ってました。そうしたら貴方に近づけるかもしれない。貴方に似合うレディになりたい、隣に立ってもおかしくない大人になりたいと…。」
「それじゃあ、俺達の思いは同じだ。もっと親しくなって、一番近しい関係を築こう。」
「もっと…?これ以上?」
「そう、たとえば、このくらいかな。」
オスカーはそう言ってアンジェリークに顔を近づけた。
「これで5センチくらいだろう。俺としてはゼロでもいいんだぜ」
「ゼ、ゼロ?それじゃあ、くっついちゃうじゃないですか?」
「正解。」
「んんっ!?」
びっくり顔のアンジェリークの頬をオスカーの大きな手が包んでいた。そしてもう片方の手は彼女の腰を抱き寄せていた。
「恋人同士の距離は理解してくれたかな?俺達の間に今邪魔なものは何も無い。」
「オスカーに一番近づいたんですね、私は。」
「いや、まだまだこの先にはマイナスな距離ってのもあるんだぜ?」
アンジェリークの唇を指でなぞりながら楽しそうに付け加える。
「マイナス…?なんだかあまり親しくないみたいですけど。」
「さて、まずは体験してみるというのはどうだ?無論ここではまずいが、な。」
・◆ FIN ◆・
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