ゼ ロ の 関 係 1 Part 1

2002.6.27 ・◆・白文鳥




 午後一番で少しだけ急ぎの仕事を抱えてアンジェリークはオスカーの執務室にいた。本当は大して急ぎでもないのだが、彼に直接届けて頼みたかったからだ。
 期待して訪ねたものの肝心のオスカーは遅い昼休み中で不在であった。そのまま彼の部下に託けて戻っても良かったのだが、それも残念な気がして少し彼を待つことにした。

 留守居をしていたオスカーの部下は珍しく一人だけだった。アンジェリークは勧められた椅子に座る事も無くオスカーの執務室を見回しながら部屋の持ち主に思いを馳せていた。明るい静寂に包まれた彼の執務室はとても実務的で、いかにも軍人らしい装飾で覆われていた。
 候補時代にも何度もオスカーの執務室には来ていた。飛空都市からここ聖地に戻ってきてからは特に忙しかった所為もあるが、こうして室内の装飾をじっくりと見た事は、あまり無かったかもしれない。その理由がそれだけでは無く何故なのか思い付いてアンジェリークは小さく笑った。
『俺以外の男に目を奪われるなよ』
『この俺の前にいて、俺以外の物を見るなんてしないだろ?』
『いいか、俺の目だけを見て、楽しいおしゃべりをしようぜ』
 そう、オスカーがいたらこんな調子なのであった。だからあらためて部屋を見回して見ると何か今までと違った発見があるような気がした。

 いつも沢山の美しい女性達と楽しそうに過ごしている、軽いプレイボーイな一面はもしかして別人なんだろうかと思わせる室内。けれど堅苦しい雰囲気は無くて、居心地がいいような気がするのは何故なんだろう。アンジェリークはぼんやりとそんな事を考えていた。
 きちんと整えられて。でも几帳面とも少し違う机の上の物たち。向うの小さいテーブルの上には中型の変わった形の剣とたたまれた布。

   オスカーの本当の顔って?
   宇宙で一番のプレイボーイ?

 候補の頃はそれがオスカーだと思っていた。それでも女王候補の自分には優しくて時には厳しくて、さりげなくアドバイスのような事を示唆してくれていた。そんな彼が…あの頃の、17歳のアンジェリークは大好きだった。ちょっとドキドキして、でもホッとする存在。兄とか父親とも違う親しみがあって、憧れのような初恋のような不思議で暖かい想いがあった。
 そしてその気持ちはそのまま、まだ確かに自分の中にあるという事を自覚していた。だからといって何か彼にアプローチするという訳ではなかったが。彼のアンジェリークに対する態度は候補時代と然程変わったとは思えなかったから。

   この部屋の主は堅実な軍人さんだわ。
   こっちがオスカー?
   両方共なのかしら。
   それとも両方共違うのかしら。
   でも…未だにお子様扱いされている私にはわからない。   

 年齢は少し上がったけれど彼にとって補佐官のアンジェリークは相変わらずお子様でお嬢ちゃんなんだろうなと思う。優しくて時々意地悪を言ったりするステキなプレイボーイ。

 アンジェリークは今度は壁にかけられたいくつもの武具に目をやった。それらは装飾的に美しいけれど、もしかしたら実用性も高いのではないだろうか。新品もあるけれど、かなり古くて、どうみても使い込まれて磨かれたと思われる物もあるからだ。手入れの行き届いたそれらは、時には人を殺める道具でもあるはずなのに、ここにある物はそんな禍々しい気配は無かった。

   何故かしら…?
   持ち主を反映しているのかもしれないわね。
   オスカーが磨いているのかしら、きっとそうね。

 もしかして沢山いるオスカーの部下が手入れをしている可能性だってあるのだが、ごく自然にオスカー自らが手入れをしているような確信があった。
 あのテーブルの上の剣はたぶん手入れの最中のもの。きっと間違いないだろう。それは見慣れない形の、まるで三日月のような形の剣であった。柄の部分や刃の根元の部分には植物のような文様が彫り込まれ、宝石がいくつか嵌め込まれていた。美しい剣だった。さほど大きくもないし、女性用かしらと手に取ろうした。

「あ、危ないですよ。アンジェリーク様。見た目よりずっと刃が鋭くて、貴女のその細い指などあっという間に落ちてしまうぐらいです。どうぞ、触らないようにお願いします。」
 慌てて手をひっこめると、その男性、オスカーの部下はにっこりと笑って続けた。彼の顔は知っていた。飛空都市にもオスカーに付いて来ていたからだ。
「それはオスカー様が手入れの最中の物でして、私どもも手は出さないようにしているのです。」
 勿論、アンジェリークが実際に触ったとしてもオスカーは怒りはしないだろう。
 候補時代にオスカーの大事な剣を見せてもらった時の事を思い出した。ずっしりと重いその大きな剣はとても美しかった。
『お嬢ちゃん、この剣は俺の精神の象徴のようなものだ。』
 そんな言葉を言っていたような記憶がある。あのオスカーならこれらの手入れを他人に任せたりはせず自分でやって当然に思えた。

「これらの物を集めるだけじゃなく、その手入れもオスカー様の趣味というか楽しみの一つじゃないかと私共は思っております。」
 彼は壁に掛かっている武具などをぐるりと指しながら続けた。
「もちろん、ここにあるのが全てではございません。中にはいわくつきの物やら、色々と…珍しい逸話付きの物もございます。」
「ふ〜ん、今度オスカーに聞いてみようかな。」
「きっと喜んでお話くださいますよ。」

 忙しい執務の合間を縫ってひとつひとつ丁寧に手入れをしているオスカーの姿を想像するともしかしてもう一人のいや、本当のオスカーを形作る大事な要素が増えたような、そんな気がした。 

   私…、もしかしてオスカーの事ごく一部しか見ていなかった…?
   それとも見せてもらってなかった、のかな。
   プレイボーイだけだとは思わなかったけれど。
   実際は…どうなんだろう。
   もっとオスカーの事、知りたい…。



 窓の外はとてもいい天気で太陽が眩しいくらいであった。今日も青い髪の女王陛下はご機嫌が良いようである。何気なく外に目をやると待ち人がこちらに向かって来るのが見える。

 遠めにも鮮やかな深紅の髪に、大きく揺れる青いマント。間違えようもない。ふっと彼がこちらを見て、そして目が合った気がした。いや、間違いではなかった。オスカーは軽く手を挙げて合図を送って来たからだ。彼の執務室の来客に気が付いてくれたのだろう。

 アンジェリークが彼と目が合うとドキドキするのは、初めて会った時から今まで変わらない。憧れなのか淡い恋心なのか、もしかして彼の言う「大人の女性、レディ」になれたなら、この気持ちも行き場があるんだけれども。
 そんな事を考えていると、あっという間にドアが開いてオスカーが入ってきた。

   は、速い…
   階段駆け上がったのかしら?

 アンジェリークが驚いた表情をしたのでオスカーは笑いながら言った。
「すまない、待たせてしまったようだな。可愛いお嬢ちゃんの顔を早く間近に見たくて飛んで戻ったんだぜ。許してくれるかな?」
 ん?と顔を近づけられて思わず引いてしまうアンジェリークであった。
「い、いえ。先触れも無く来たのは私のほうですから。…あの、少し急ぎのお仕事が入ってしまって…」

 何枚かの書類を差し出す彼女の手元を覗き込みながら、オスカーはマントを止めているブローチを外していた。書類を受け取ると先程の優しい表情は消えて厳しい目で文字を追い始めた。そしていくつか書き込みとサインをするとそれらを近くにいた先程の部下の男性に言付けた。そしてふうと息をつきながら、上着の留め金を外し始めた。

   仕事の顔のオスカーだわ、今の。
   間違いなくこの部屋のあるじだわ。
   …このオスカーの方が好きかもしれない。

 こちらに視線を戻した彼はもう厳しい光は消えていた。
「ちょっと失礼するぜ。昼食の後ランディと剣を合わせてたんで、汗ばんじまった。」
 オスカーはそう言って上着を脱ぎ始めた。そのオスカーの行動に別に驚きも恥じらいもしなかった。上着を脱いで椅子の背もたれに掛ける。下に着ていた黒いシャツはぴったりとオスカーの体にフィットしていて、彼の体格をそのまま現していた。眩しいようなその体格に目をそらそうと思ったのに、そらせない。そんなアンジェリークの視線に気が付いているのかいないのか彼は続けた。
「それからあの書類の件は大丈夫だ。後は俺が片付ける。心配はいらないぜ。たぶん直接現地に赴かなくとも、なんとかなるだろう。」
「ありがとうございます。オスカー。やっぱり頼りになります。さすがは女王陛下をお守りする剣ですね!」
 ふとオスカーがこちらを見たのでアンジェリークは『はい?』という感じで小首を傾げた。誉めたつもりだったのに、何故かオスカーの表情に不満が見えたような気がした。言い方がまずかったのだろうか。
「こうしてお仕事の顔のオスカーは、なんていうかとても真面目な守護聖ってかんじですね。いつもと違う雰囲気がなんだかとてもステキです。」
「ふむ…確かに俺は守護聖として自分の責任と言うものは充分に自覚しているし、十二分に真面目なつもりだぜ。しかしそれがお嬢ちゃんの好みだというのなら、ずっと真面目な男でいなくちゃならないな。」
「それじゃなんだかオスカーじゃないみたいです。」
「それは心外だな。俺はいつだって真面目だぜ?尤もそれだけが俺じゃないんだが。」
「『宇宙で一番かっこいいプレイボーイのオスカー様』ですか?」
 うふふ、と笑うアンジェリークにオスカーも苦笑を隠せなかった。
「そう、それもあるがな。…お嬢ちゃんにはもっと俺の本質を見てもらいたいと思っているんだぜ。」
「本質、ですか?」
「そうだ。仕事に真面目な俺と全ての女性に優しい俺と。それだけじゃないって事を、だ。」

   それは私だってオスカーの事知りたいと思う。
   この人の本質ってなんだろう。

「だが、この本質を見せても魅力だとわかってもらうには…多少大人でないと、な。」
「……!」
 オスカーの言いたい事を理解するのに一秒かかった。
「私だってもう17歳のお嬢ちゃんじゃありません。そのくらい分かります!」
「そうか?」
 楽しそうにしているオスカーに少し腹が立つ。
「ええ、大丈夫、理解できます!教えてください!」
「お嬢ちゃんがそこまで言ってくれるなら、お言葉に甘えようか。」

 そう言うと彼は黒いシャツを脱ぎ始めたのだ。そして文字通り固まったアンジェリークに視線を移すとシャツを脱ぐその手を止めて自信満々な表情でウインクしたのだった。


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