超巨人デストロイヤー7
Y・U
2001.7.9 鷲理

★ ★

 静かな森の木陰――。

 流れ落ちる水の音、風にざわめく木々の葉ずれ、そして小鳥達のさえずり。
柔らかな木漏れ日の下で、オスカーは振り向き、彼の後を歩いてきた少女の、金の髪に手を伸ばす。
「オスカー……さま」
 碧の瞳が、その後に起こるであろう展開を思うかのように、大きく見開かれた。
 オスカーは歩み寄り、少女の肩を抱きよせる。
「お嬢ちゃん、いや、アンジェリーク。……俺は」
 ゆっくりと寄せられる唇。閉ざされる少女の瞳。そして――

 ズズ……ン……ズズゥ……ン……ズズウン!

「……ん?」
 異様な音に思わず目を開いたオスカーの、その視界に映る少女の顔が小刻みにぶれている。
 思わず音のする背後へ振り向いたオスカーの視界一杯に映ったモノ。
 豆粒のようだったそれは、森の小径を上下にバウンドしつつ、意味不明の言葉を発しながらこちらへ高速移動してくる。
「……ァ! ……まァ! ……さまァ! ……ーさまァ!」
「な……なんだ?」
 オスカーは思わず少女を後ろにかばい、剣を身構えた。
 やがて輪郭が次第にハッキリしてきたそれを見て、オスカーは嫌な汗が全身に噴き出すのを感じ始めた。

 赤いミニスカートの下で力強く跳躍する逞しい臑から腿のライン。
 セーラーの下から生えた、空を切り裂く潔い腕の振り。
 厚い胸板の上で揺れるリボン。
 汗に輝く剛胆な首筋と食いしばられた強靱な顎。
 獅子のごとき、臙脂の髪に更に黄色のリボン。
 それが、この上もなく晴れやかに破顔し、豪放な笑い声をあげながらスキップと言うには余りにも破壊的な跳躍を繰り返しつつ、両手を広げた。
「オスカーさまァ! 俺をお忘れですかアッ!?」 
「なにーッ!?」


ふうあアあアあアあアあアあア!????

 絶叫。
 自分の叫び声にこれまた驚いて再び絶叫し、オスカーは飛び起きた。思わず夢の中の反動で後ろに飛び退き、ヘッドボードに勢いよく頭を打ち付けてようやく我に返ったところへ、壁に掛けていたジュリアスからの守護聖就任記念品「安らかな午後」と言う名の油絵が脳天に直撃した。
「ゴッ!」
「オスカーさま! どうなさいました!」
「何事ですかあ!」
 次第に騒ぎの大きくなる扉の外の様子に、オスカーは額から血を流しながら慌てて怒鳴った。
「なんでもないッ! なんでもないからほっといてくれッ!」
 扉の外に静寂が戻ったのを確かめてから、脳天をおさえる。床に転がった油絵の額の角の一辺が、血にまみれている。
「ちっ……嫌な朝だぜ……」
 呟いたその額に、汗が滲んだ。
「……嫌な予感がするぜ……」

 予感どころか、もう十分嫌な目に遭っているような気もしないでもない。


 それは、その日の午後、実にひさびさに開かれた定例総会の席。
 一段高い玉座から発せられた金の髪の女王の一言が、やはり相変わらず発端だった。
「あのね」
 この出だしで、今まで会議参加者が無事に休日を過ごした前例はない。
「聖地って、いつでもいい天気だし、温かいし、いい気持ちじゃない?」
 訪れる静寂。
 こんな時は
「いやぁ……そんな気もするかなあ、ははは」
 などと適当に返すのがセオリーなのだが、まさか守護聖及び協力者含め二十人弱の野郎ども全員でそれを返すわけにもいくまい。
 してもいいが、かなり異様な生臭い空気になること請け合いである。
 そんなわけだが、とりあえずリアクションを返さねばなるまい。
 そこでまず答えを返したのはやはり首座である。
いい……気持ち、ですか」
 ちなみにこの首座は女王の言葉をおもんばかる余りに「いい」という語に異様に強いアクセントを置いたせいで、なんだかとってもやな感じに仕上がっている。その上、続けて口を出した闇の守護聖がまた
いい気持ちか……」
 前にだけ力を込め、後の言葉をぼやくので、実にいやな感じに拍車がかかった。悶々とした、いい空気にリュミエールがたまらず口を開く。
「あの……それで陛下、何かご提案が」
「ええ、あのね」
 あのね二段階強調。
 もう逃れることはできない。
 女王は愛らしい笑みを浮かべて人差し指を立てた。ちなみに、以前オスカーを用事で呼び出した折り、
「そういうことだから、お願い、ねv」
 と同様に可愛らしく微笑みながら勢い余って中指を突き立ててしまい、額面通り受け取った炎の守護聖は、その後しばらく刺客の影に怯えたらしい。
 さておき。
 女王はのたまった。
「ポカポカ陽気に何もしないのも勿体ないでしょ? だから、ね! 聖殿に露天風呂作ってみようと思うの。どう? どう?」

 爽やかなひととき、守護聖及び教官たちの時が止まる。
「……」

 露天風呂?

 固まった人々の中で真っ先に息を吹き返したのは地の守護聖であった。
「ろ……ろてんぶろ、といいますとー、あれですかねー。昔資料映像を拝見したことがありますがー」
「ルヴァさま、露天風呂って一体……?」
 深刻な表情で問いかけたランディに、ルヴァは振り向いて諭すように指を立てた。
「えー、確かですね、それはそれは深ぁい山奥……谷間の岩の中にわき出たお湯の中に猿が浸かりにくるという……」
「えッ、猿? 猿?」
「サルサルうるせーんだよ、ランディ野郎。何驚いてんだあ? てめーがそもそも猿だろ」
「なんだとお!」
「もう、やめてよゼフェル。ランディ、僕猿なランディ、じゃない、猿もランディも大好きだよ。だから暴れないでよう」
 守護聖とは少し離れた場所でやりとりを見守っていた教官のひとり、精神の教官ヴィクトールは、そのとき一人想像に浸って悦に入っていた。
(風呂……露天風呂……いい……いいなあ!)
 あまり異次元に飛んだ表情をしているので、隣のセイランが引いていたのを、もちろん本人は知らない。
 女王はころころと笑いながら言った。
「やあね、ルヴァったら。猿じゃないの、私たちが入るお風呂よ〜v ね、ロザリア」
「しかし……そのようなものを一体どちらに作るおつもりですか」
「ほら、ジュリアス。この前、聖殿の裏庭がなんだか寂しいって言ってたじゃない」
「は……あ。確かに……花壇でも入れてはどうかとは思いましたが」
「そこにね、作るの! 広さも丁度良いわ、ね? いいでしょ」
 いいでしょ? と問われて反対しようにも、ジュリアスは実は露天風呂を知らなかったりする。と、その時。
「俺は反対です!」
 やはり異を唱えたのは炎の守護聖。
「あら……オスカーはなにが気に入らないの?」
 抑制された威圧感に怯みかけながら、オスカーは女王を見据える。
「いえ……露天風呂そのものが気に入らないのではありません」
「じゃあなあに?」
 問われてオスカーは一瞬口ごもる。
 まさか、「今朝夢の中で精神の教官が、コレットスタイルに身を固め、爽やかに笑いながら突っ込んできて怖かったから」などとは言えぬ。
「今日は……計画を立てるには日が良くありません」
「オスカー」
 隣で聞いていたリュミエールが口を挟む。
「あなた……。いつから暦にうるさくなったのですか……?」
「うるさいな! お前黙ってろ!」
「なにじじくさいこと言ってんだよ。露天風呂に日を選ぶなんて奴、私初めて見たよ」
「甘いなオリヴィエ……こういう大がかりなことするときにはなー、日を選ぶのが常識なんだよ!」
「まあまあ」
 割って入ったのはヴィクトールである。
「オスカーさまはいつも陛下のことを大事に思っていらっしゃるのですから、そこまで気を回されるのももっともなことですが……今回のところは」
「ぎゃあああ! お前近寄るなヴィクトール!」
 騒ぎまくるオスカーとその周辺を、離れたところで見守る古参が三人。
「ジュリアス……なんなのだ、お前のところの、あれは……。少し酷使しすぎたのではないか……?」
「あの醜態が、私のせいだといいたいのかそなたはッ!」
「あー、ジュリアス、落ち着いてください」
「そなたは落ち着きすぎだ!」
 事態が混迷を極めたその時、ロザリアの鋭い声が飛んだ。
「皆さん、お静かに」
 個性とあくの強すぎる守護聖たちが、面白いほどよく黙る、ロザリアの一声。
(ロザリアさまは……偉大だ……)
 そんなヴィクトールの嘆息を知る由もなく、ロザリアは続ける。
「そういうわけで、これから二週間ほど、工事中はお騒がせいたしますけれど、どうぞご了承下さいね。それでは解散いたします」
 守護聖&協力者は、どすりと落ちた緞帳をみつめて思った。

 なら意見聞くな――!


 そして二週間後。
「っふあ〜〜〜〜〜ッ!」
 一人の男の脚が浸かったと同時に、盛り上がる湯が、大波のように湯船の外へ吐き出されていく。
 ここは聖殿大浴場。昼夜を問わぬ大作業の末、ついに完成したそれは、疲れ切った聖殿の人々の文字通りオアシスとなり始めていた。
「いい湯だあ……」
 上機嫌で、「ゆ」手ぬぐいを綺麗に四つ折りにし臙脂色の頭頂部にのせる、男の名はヴィクトール。しかし上機嫌なのは彼ばかり。先客達は先ほどの大波と共に湯船の外へ流れ流れてそれきりである。

 それにしても湯船の広さ、およそ百平方メートルはあろう。
 それがヴィクトール一人入っただけで高波三メートル。
 一体どういう人間であろうか。
「ふーっ、それにしてもなんだ。俺一人か……これじゃまるで貸し切りだな、はっはっは!」
 いいざま、嬉しくなったのかスイーッと湯船の中を平泳ぎ。
「む! 犬かき!」
「素晴らしいクロール泳法を見よ!」
「はあっはっはっは! 子供の頃を思い出すな!」
 こういう人間である。
 泳ぎ飽きたのか、しばし鼻までつかってブクブクさせると、湯面が盛大に泡立ち始める。それはもう、ブクブク、などというかわいげのあるものではない。強いて言えばボコンボコン、そんな感じで既に湯が乱舞しているに等しい。その乱れ湯を鑑賞しながら
「はっはっは……人間ジャグジー」
 だの
「湯上がり爽快〜バブ!」
 だのやっていると、突然背後から非難めいた叫び声があがった。
「ヴィクトール! お前なにやってんだ、やめろっ!」
「お、これはオスカーさま」
 見上げると、腰タオル一丁の炎の守護聖が、泡を食ったような顔で湯を指さしている。
「なにかございましたかな?」
「なにかございましたかな、じゃないだろ! 今お前、なにやってたんだッ!」
「は、あの」
 まさかジャグジーごっこして遊んでました、とは齢三十一。さすがに言えぬ。
「ちょっと沈んでましたが……」
「ちょっと沈んでるだけで、なんで湯がぼこぼこ煮立ってるンだよ! ていうかお前人間か!」
「はっは! 煮立ってなどおりません。おお、そうだオスカーさま。天然ジャグジーなんてのはいかがです?」
「天然ジャグジーだ?」
「どうぞ、良い湯加減ですからちょっと入ってごらんなさい」
 オスカーはしばしヴィクトールを見据え、眉間から警戒を解かぬままに右足をそろりと持ち上げ、親指の先をそうっと湯へつけた。
「ん? なんだ……普通じゃないか」
「だから言ったじゃないですか」
「お前の言うことは信用ならないんだよ」
 ふーっ、と息をつきながらようやく警戒を解き、湯へ肩まで浸かったオスカーはホッとしたような笑みを浮かべた。
「あー……、良い湯だな……」
 ヴィクトールは、そんな安らいだオスカーの横顔を盗み見た。
(最近は、女王試験も佳境に入っているからな……さぞお疲れだろう。……ここはひと肌ぬいで)
 精神の教官は労るような微笑を浮かべ、そっと鼻まで湯につかると、一気に息を吹きだした。途端、暴れ狂い岸壁に打ち付け砕け散る北海の波の如く、静かな露天風呂の湯が暴れ始めた。
「人間・ジャグジー!」
「ぬォあッ!?」
 すっかり安らいでいたオスカーは反応するのが遅れた。踊り狂う湯の波に巻き込まれ、中央に現れた渦にのまれていく。
「どうですかな! 疲れがとれますぞ、人間ジャグジーッ!」
「ぐはッ! やめ、やめろやめ――ッ! ヴィク……ゴブッ」
 オスカーは湯を飲み、白目をむいたまま、湯船の中央に出来た渦でぐるぐる回り始めた。頭が上になったり、脚だけ浮かんできたりと忙しないところを見ると、どうやら既に意識がないらしい。
「はははは。どうです、なかなか気持ちのいいものでしょう!」
 すっかり自慢げに笑うヴィクトール。
 女王と補佐官、そして女王候補たちの怒声があたりに響いたのは丁度その時だった。
「お、オスカーッ? いやーっ、なんで女湯に!?」
「きゃーっ! オスカーさまのエッチーッ! 変態!」
 オスカー、流れ流れて板一枚でしきられていた隣の女湯まで流れ着いていたらしい。その悲鳴をバックに、ヴィクトールはヴィクトールで、突如忽然と姿を消したオスカー(自分で流したのだが)を探していた。
「む? どこへ行かれたのだろうか……。先にあがられたかな? うむ、きっと気分よくなられて部屋へ戻られたのだろう。ははは、良いことをしたなあ」
 一日一善!
 豪快に笑いながら、濡れ手ぬぐいで脇の下やら腹やら股やらをバシバシ叩きながら更衣室へ去るヴィクトール。
 彼は直後、女湯の壁を突き破って男湯の中へつっこんだ炎の守護聖に気付くはずもなかった。

 超巨人デストロイヤーの、更なる善行は、つづく。


 
                          超巨人デストロイヤー7 Y・U 〜完〜
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