〜たちばな葵さまの「そなたの頬に」「OATH」に寄せて〜
2001.11.2 ・◆・合歓
それは、輝くようなという形容詞そのままに、幸福の光を纏った花嫁だった。
そよ風が古風なレースのベールを揺らすのか、かそけき衣擦れの音がする。そのそよ風は、微かな、庭の花の香に彩られている。
誓いの言葉の語尾が震える。彼も、そして彼女も。
チリと音を立てて転がる指輪。慌てて拾う、赤毛の若者。どっとわき上がる笑いと、野次。
傍らに立つこの男さえが微笑む、そんな光景を、私はその眼を通して見ている。
ベールをとって、オスカーの口づけを受けるアンジェリークの頬に、またひとすじの涙がつたう。白手袋をはめた大きな手がその涙を吸い取って、彼女の頬を包んだ。
(そうだ。これからはその手が、そなたの涙を、その頬の暖かさを守っていくのだな)
誇らかに笑みを浮かべたその頬に、もう、涙の筋はない。
「きれいだな」
「ああ、きれいだ」
どちらからともなくそう言い合った。
クラヴィスも、あの日の彼女の泣き濡れた頬を、思い出しているのだろうか。
赤い絨毯を踏みしめて、夫婦となった二人が眼前を横切っていく。二人ともが、深々と頭を下げて。
その花嫁の双の耳に輝く蒼い玉石が、鈍く光を弾いた。
「おまえの・・笑ったときの瞳の色だな・・・」
彼が、意外なことを言った。私は眉を上げた。
おまえも同じことを言うのか・・。ふっと微苦笑を刻んだ私を、クラヴィスが怪訝そうに見ているのがわかった。
「何か・・」
呟くような私の言葉尻を、クラヴィスが探るのが可笑しい。この男なりに、私を気にかけているのか。
「何だ?」
「何か、青いものがほしいと、そう言うのでな」
「誰が?」
「愚問だ。・・補佐官に決まっているだろうが」
「なぜだ?」
むきになって問うてくるクラヴィスは、二人して宮殿の廊下を走った頃を彷彿とさせる。
私は小さく笑って、彼の手を離した。
「陛下に聞くがいい。・・私も陛下から伺ったのだ」
ぐっと詰まったクラヴィスを置いて、私はゆっくりと厚い絨毯を辿った。
後から追いかけてきた大きな手が、そっと私の肘に添えられた。やはり、その手も暖かだった。
・◆・
女王に呼び出され、ジュリアスは従者と共に謁見の間に出向いた。
玉座のある一段高いところに、直に座り込んだ女王と補佐官がいる、とその従者が告げる。
「何をなさっておられますのか」
声をかけると、小走りの足音が――よく知った足音が駆け寄って来た。
「ジュリアスさま」
アンジェリークは、従者からジュリアスの手を取り、そのまま玉座に導いた。
「後は、私がお送りしますから」
そう言って従者を下がらせる。
「女王ともあろうお方が、床に座り込んでおられるとか」
少しだけ眉をひそめてジュリアスが言う。
それをロザリアは一笑に付して、
「だって、こんなこと玉座に座ったまま、相談なんてできやしないわ」
と言った。
「何のご相談なのですか?」
「ふふっ、オスカーとアンジェリークの結婚式のよ」
まだ添えられている手がかっと熱くなった。どうやら彼女の頬も同じような状態らしい。
「そんなに真っ赤になることないじゃないの。・・それでね、ジュリアス」
赤くなって硬直している補佐官は放っておくことにしたとみえ、女王の声がジュリアスに掛けられる。
「三つは用意できたの。ウェディングドレスはオリヴィエが差配したし、私はこのベールを貸してやろうと思ってるし、ティアラは女王府の宝物室から出してきたし・・。とてもとても古い時代のものなんですって。宝石のカットが古くさいけど、それがまた何とも言えず、この子に似合うのよ」
女王の言葉は候補時代そのままに、驕慢に、だがアンジェリークへの近しさを込めて響いた。
それはいい。女王が、この親友である補佐官を心から労い、そして祝おうとしているその気持ちは・・。
だが、三つとは、何のことなのだ?
「陛下、申し訳ありませんが、私にはどういうことかわかりかねる―――」
「陛下、ジュリアスさまにちゃんとご説明しなくちゃ―――」
彼の声と、アンジェリークの声が重なった。
ころころと女王が笑って、座は一気にくだけた。
「ジュリアスさま、知りません? “something four”っていうの」
「ジュリアスが知ってるわけないじゃないの、アンジェリーク。・・これって女の子の話題だわよ」
いつの間にか、女王候補時代に戻っている二人の会話を、ジュリアスは苦笑して聞いた。
「知らぬ、何のことだ?」
女王と補佐官らしからぬ・・と咎めることもせず、彼もその会話の中に身を置く。
さすがに玉座に彼を座らせる訳にもいかないので、アンジェリークが椅子をごとごとと引っ張ってきた。それに座ると、大きく一つ溜息をついて、ジュリアスは少女たちのおしゃべりを聞く覚悟を決めた。
「古ぅい言い伝えなんですって。ロザリアが調べてきたんです」
「花嫁がね、何か“新しいもの”、“借りたもの”、“古いもの”と、そして“青いもの”を身につけて嫁ぐと、幸せになれるのですって。だから・・・」
それが、先刻女王の挙げたドレスであり、ベールであり、そしてティアラであるのだろう。
「で、“青いもの”が足りぬと・・。しかし、それをなぜ私に?」
オリヴィエにでも申しつけた方が話が早かろう・・と、そうジュリアスが言いかけると、女王はそれを遮った。
「あら、何でもいいのよ。オリヴィエに頼んだら突飛なものを持ってきそうだし。・・それにあなたなら瑠璃の飾りをたくさん持っているのじゃない?」
そう、今も額に飾られている彼のサークレットには、大きなラピスラズリが填め込まれてはいるが。
「さて」
二人のはしゃぐ少女の真ん中で、ジュリアスは思案した。
何かふさわしいものがあったかと考えあぐねながらも、頭の片隅で思った。こうして何だかんだと引きずり込まれることは以前はなかったなと。そして、微笑った。
どうも扱いが長老になってしまっている。それでも彼が独り取り残されないよう、これは彼女たちなりの心遣いなのかもしれない。
微苦笑を浮かべながら考え込むジュリアスを、少女たちは期待と優しさを込めたまなざしで見守っているのだろう。
やがて、ジュリアスは下がった従者を呼び寄せて、館の執事へ何事かを言付けた。
「ねえ、何? 何を取り寄せるの?」
女王の声音には過大な期待があったが、ジュリアスは笑って取り上げなかった。
「陛下、・・これは花嫁の装いのために必要なものではなかったのか?」
「そうよぉ、ロザリアってば!」
謁見の間の高い天井に、三つの音域の違う笑い声がこだまして、そのかつてはなかった賑わしさにジュリアス自身が驚くほどだった。
失ったものは大きいかもしれない。だが、得たものもまた、大きかった。等価で引き替えられる類のものではないにしても。
思ったより早く従者が戻ってきて、ジュリアスに薄手の箱を一つ手渡した。
「開けてみるがよい、アンジェリーク。・・そして、どちらでも好きな方を選ぶのだな」
受け取ったアンジェリークは、その箱を開け、ビロードに埋まった二種類の宝玉に見入った。二対のシンプルなイヤリングが箱に納められている。
一つはカシミアンブルーのサファイア、そしてもう一つはそれよりももっと淡い色合いのブルーダイヤでできていた。
「瑠璃もあるのだが、花嫁の白い装いにそれでは濃すぎるだろうと思ったのだ。どちらでも気に入ったものを、私からの贈り物としよう」
ジュリアスが聖地に上がるときに、実家からもたらされた装飾品の一部だと彼は言った。母親のものなのか、それとも当時幼い守護聖にと新しく作られたものなのかは、定かではないと。
「小振りなのでな。女性か子どものものであろう。・・そなたにはどちらも似合うと思うのだが・・・」
何も声が聞こえないので、ジュリアスはふと不安になった。気に入らぬのだろうか・・。
「・・・私・・、こちらの・・」
しばらくの沈黙の後、アンジェリークはそう言いかけて、慌てて言葉を添えた。その語尾が震える。
「サファイアをつけさせて頂きます、ジュリアスさま」
意外だった。
「ブルーダイヤは、あれの、オスカーの瞳の色だが―――」
「いいえ・・、いいえ・・!」
暖かい手が、ジュリアスの膝においた手に重ねられた。
「サファイアのこの青・・、ジュリアスさまのお笑いになった時の瞳の色・・・」
絶句したアンジェリークの肩を、女王がそっと抱く気配がする。
「そうね、晴れ渡った空の蒼だわね」
その色を身につけてオスカーと結婚の誓いをしたいという、アンジェリークの心根をジュリアスは嬉しいと、ありがたいと思い、その反面でもう何も気にせずにいてほしいとも思った。
ただ、幸せに―――。
啜り泣いているらしい二人の少女の存在を感じながら、ジュリアスはそれだけを願った。
・◆・
礼拝堂を出たところで、守護聖たちの歓声に足止めされ、新郎と新婦は笑みを浮かべて立っている。
恥ずかしげで、だが、幸福という空気を纏い・・。
その後ろ姿を、またクラヴィスの瞳を通して見ながら、私は彼に気取られぬよう、胸の内で呟いた。
その石は、そなたにこそふさわしいのだ、アンジェリーク。
誠を込めて私に償おうとしてくれたそなたにこそ。
そして、変わらぬ愛をオスカーに捧げようとしたそなたにこそ。
・◆・
“Somethig Blue”は花嫁の清らかさの証。
そして、空の蒼さを映したカシミアンブルーのサファイアは、誠実と変わらぬ愛を培う石。
その頬には、もう幸せの笑みしか刻まれぬよう、その宝玉は見守り続けていくのだろう。
私の、この瞳の代わりに―――。
・◆ FIN ◆・
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