秘密のお願い

2001.4.15 ・◆・ 白文鳥 




「どうしてすぐに連絡をよこさないんだ!」
 血相を変えた炎の守護聖オスカーが執務室に飛び込んできた。
 部屋には金髪の女王補佐官が一人書類に目を通していた。びっくりとした顔を上げて彼を見つめた。

「オスカー様!どうなさったんですか?」
「どうしたも、こうしたも!…君が襲われたって聞いた!昨晩!それを今しがた聞いたんだぞ!」
 つかつかと机の前まで来て両手をつき彼女の緑色の瞳を覗き込んだ。
「何故すぐに俺に知らせなかった?」
 口調は静かに変わったが、かえって迫力が増したようだ。その気迫に押され気味になってアンジェリークはしどろもどろになってしまった。
「あ…あの!でも!別に大怪我をしたわけじゃないし!たいした事じゃないし、それに…」
 それに貴方には関係ない、と言いかけてやめた。関係なくは、ない。女王補佐官と守護聖なのである。会社で言えば同僚。ただし、それ以上でもないしそれ以下でもない、今のところは。本心をいえば「それ以上」になりたいと思っていたけれども。
 つい意識しすぎて 「関係ない」と言いそうになってしまったがそれではあまりにも失礼というものである。加えて彼はこの聖地においての警備責任者だ。
 恋人同士という間柄であったなら、即座に彼に連絡もしたろうし、その広い胸で不安を消し去る事もしたであろうが。ちょっぴりそんな淡い夢をみたけれど。

「それに…なんだ?」
「なんでもないです…。ごめんなさい、すぐに連絡しないで。オスカー様のお手を煩わすのも、申し訳無いと思ったんです。」
 ふう…とため息をついてオスカーが言った。
「他人行儀だな…。」
「はい?」
「いや、なんでもない。まあ、無事でよかった。で?犯人は反女王体制の者か?」
「いえ、あの、そうではなくて…」
 うーん、なんだか言いにくいな…。どうやって説明しよう。
「えっと、全然知らない男の人が来て、どうして約束を破ったんだって、ものすごい剣幕で腕を掴んできたんです。私びっくりしちゃって振りほどこうとしたら、転んじゃって。」
 チラッっとオスカーの顔を見ると腕を組んでじっとこちらをみている。そして続きを促す様に頷いた。
「なんだか怖くなって逃げようとしたら、今度は髪の毛をつかまれちゃって。私…とっさに大きな声を出しちゃったんです。そしたら偶然通りかかったヴィクトールさんが、その人を捕まえてくださったんです。」
「その男に見覚えはないのか?」
「ええ、全然。一度も会った事のない人です。でも、最近なんだかいつもつけられているような気がしたんですけど。時々無言電話とかあったりして、あ、意味不明なお手紙も何通かいただきました。もしかしてそれと関係あるんじゃないかって、言われたんですけど…」
「…お嬢ちゃんひとつ教えてやろう…」
 あ、また一段と声が低くなったかな?とアンジェリークは思った。
「そういうのをストーカーっていうんだぜ」
「え!?そうなのですか?」
 今度はオスカーは頭をかかえていた。
「一歩間違えていたら、大事になっていたんだ!そんな不審な事が続いていたなら、何故もっと早く俺に相談しなかった!」
「…オスカー様、怒ってらっしゃいます?」
「ああ…」
 アンジェリークはしょぼんと顔を伏せた。ジュリアスのお小言だって最近は慣れてしまったぐらいなのに、この人に怒られると本当に辛い。もしかして嫌われてしまったのではと不安になる。

 オスカーにしてみれば本当に怒っているのはアンジェリークに対してではなく、この事態を予測できなかった自分の迂闊さに、であった。こんな事ならさりげなくガードをするのではなく、自分の部下を2〜3人専門につけておけばよかったと思っていた。
 加えてその時刻俺は何をしていた?…そうだ、新しい次元回廊のポイントチェックで聖地を離れていたんだ。そんな場合でなければ彼女を護ったのは俺だったはずなのに。
 ヴィクトールには一応感謝しなければならないが、なんとなく気に入らない。

 しかしストーカーか…嫌な予想だが、今回のような事件がこれで終わりだとはどうしても思えない。
 女王のお膝元、聖地であっても「宇宙の女王」は神秘的な存在であった。とにかく多忙、というのが理由だがあまり人前に姿を出さない。しかし女王の補佐官となると、対外的な仕事が多く、この宮殿で、研究院で、あちこちで見かける事ができる。
 時にはその存在すら秘密のベールの向う側である女王。その存在に最も近い補佐官も同じく、神秘的な存在なのだ。人々の興味を引いて当然である。
 ところがこの補佐官は愛想がいい。誰にでもかわいらしい笑顔を向けて挨拶をする。神秘的な存在があっという間に身近な存在に変わる。勘違いする野郎が出てもおかしくは無い。

「まぁ、今回は無事に済んだものの…。これからもこういう事がまたあるかもしれないな。」
「そう!それで、私護身術を習おうと思うんです!」
 なんていいアイデア!とばかりに元気良くアンジェリークは言った。
「それなら、また襲われても大丈夫でしょう!」
「おいおい、補佐官殿。君が、か?」
「はい!ルヴァ様にも伺いました。体が小さくても大きくて強い相手をやっつける事ができるんですってね。それを習えば!」
 アンジェリークはルヴァの所で見せてもらった資料や映像を思い出していた。小柄な女性が自分より二回り、いやそれ以上大きい男性をあっという間に投げ飛ばすシーンがあった。印象的だった。これなら何かあっても大丈夫に思えた。
「私だってその気になればオスカー様だって投げ飛ばす事が出来るようになるんですよ!そういうのってちょっと憧れます」
 はあぁ〜とオスカーはまた頭をかかえた。
「確かにそういう武術はある。だが、それを体得するにはかなりの時間がかかるというのを解っているか?」
 え!?という顔をアンジェリークはオスカーに向けた。明らかにその点については考えていなかったようだ。
「その考えを全面否定するつもりはないが、その武術を会得するまではどうすればいいと思う?少なくとも年単位で掛かると思うぜ」
 見る間に落ち込んでゆくアンジェリークの顔。オスカーは少し罪悪感を感じた。

「ああ、いや、君の心意気には感動したぜ。何もしないよりは、やった方がいい。」
 ただ、その武術を練習する時間がこの多忙な補佐官にあるのかどうかは疑問だが、とオスカーは思った。
「それより当面は君の身辺をどう護るか、だな。陛下には相談したのか?」
「はい、陛下はボディガードをつけろって…。私は陛下と違ってやはり外に出たり人と会ったりする仕事が多いですし。」
「ああ、俺もそれが一番いいと思う」
「なんだか仰々しいですね」
「仕方ないな、それは。君がどう思おうと女王補佐官というのはその肩書きだけでも十分に重いんだ」
 アンジェリークは少し目を伏せていた。彼女だってわかってはいるのだろう。ただ、もう一つ解っていない事があるな、とオスカーは考えていた。
 彼女は自分がとても魅力的な女性であるということに気がついていない。細くてふわふわした金髪が白い肌を飾る。明るい緑色の大きな瞳はかなり印象的。顔の造りは美人というよりはかわいらしくて、思わず触れたくなるようなピンクの唇とくる。
 たとえ大人っぽい女性が好みな男でも、これだけかわいいと絶対心惹かれちまうぜ。
おっと、それは俺の事か…。心の中でオスカーは笑った。
 それをもう少し自覚していたら、こんなにも無防備ではいないだろうが。

「どうだろう?この際やはりボディガードを雇ったらどうだ?」
「そうですね。ロザリアにも心配かけちゃうし。でも一体どなたにお願いすればいいのかしら。だってボディガードっていったら、ず〜っと一緒にいるわけですよね。なんだか気が重いです。」
「それは、仕方が無い。だから人選には十分配慮しなくてはならない。」
 アンジェリークは困ったような顔をオスカーに向けた。
「でも私これといってアテがないんです」
 オスカーはニヤリと笑った。

「うってつけの人物がいるぜ?」
「本当ですか!?オスカー様のお知り合いですか?」
「そうだな。よく知っているぜ。武芸百般。腕も立つし、聖地の事情にも精通しているし。」
「…あの…そんなスゴイ方にお願いして…お給金はお高いのでは?」
 なんで給料の話になるんだ?
「これは私の個人的な事情ですから、その方のお給金は私が払おうかと思うんです。確かに補佐官のお給料は外ではこんな年齢では稼げない位いただいてます。でもそんなに優秀な方にお願いするには…足りないかも…」
 なんとも庶民的な考えをするお嬢ちゃんだ。陛下に一言言ったら、君の為ならいくらでも出すぞ、きっと。
「心配するな。気のいいヤツだからそんな事はきっと気にしないぞ」
 アンジェリークはちょっと考えていたが、やがて顔を上げて言った。
「その方、引き受けてくださるでしょうか…」
「心配は無用だ。第一補佐官殿に頼まれてイヤと言えるヤツなんていないさ。優しくって頼りになって女性の味方だぜ」
「ね、それってもしかして…」
 オスカーはおや?という顔を向けた。
「見当がついたか?」
「はい!ヴィクトールさんでしょう!?実は昨日言われたんです。言ってくれればいつでもガードしてくれるって!」
 なんだと!あのオヤジ、そんな事を言ってたのか?
「オスカー様のお薦めもあるなら安心です。私今からちょっとお願いに行ってきます」
 アンジェリークは勢い良く席を立ってドアの方へ向かって行こうとした。

 ち、ちょっと待ったあ!オスカーは慌てて彼女の腕を掴んで引き止めた。
「お嬢ちゃん!いや、補佐官殿!どうしてそういう展開になるんだ?」
「あー!オスカー様、また私の事お嬢ちゃんって言った〜!」
 思わず出てしまった一言にアンジェリークは敏感に反応した。
「あ、いやその…」
「いいですよ、本当の事ですから…。でもこんな情けない事情を聞いてくれるのは余程の方だなって。心の広い方っていうのか大人っていうのかしら?」
「俺の方が絶対に心は広いと思うがな。」
 ちょっと不満顔でオスカーが言う。彼女が他の男を誉めるのは気に入らない。
「うふふ、オスカー様は全ての女性に対してでしょう?とにかく私ヴィクトールさんの所へ行って来ますね」
「いや、補佐官殿。俺の推薦は彼ではないんだ」
「え?あ、あら、私ったら、勝手に…そうですか…やっぱりお忙しいし、無理ですよね。陛下にも言われたんです。ボディガードは専門の人間にしろって。それに…あの…オスカー様に絶対頼んじゃいけないって」
 なんだと!?
「ただでさえ守護聖なんて忙しい職業なんだたら。これ以上負担を増やしちゃいけないですもんね」

 ロザリアの真意はちょっと違った。彼女はアンジェリークにオスカーが近づくのをとても嫌っていた。ロザリアの印象としてのオスカーは女たらしで、男性としては最も嫌いなタイプだったのだ。大事な友人のアンジェリークがそんな男と付き合って、もしも捨てられたらと思うと心配でならなかったのだ。
 ただオスカーは以前は確かに宇宙一のプレイボーイではあったが、アンジェリークに恋愛感情を持ってからはすっかり影を潜めていたのだ。しかし一度ついた評価はなかなか変えられるものではない。

 それよりもロザリアが気にしていたのは、アンジェリークがオスカーに惹かれているのをなんとなく感じていたからである。だからこんな事件が起こったのだから、彼女は無意識にオスカーを頼るだろう。そしてアンジェリークを憎からず想っているオスカーの事だ。これを切っ掛けにすぐに何か行動を起こすだろうと。
 いや、ロザリアの心をそのまま表現すれば「このチャンスに乗じてアンジェに付け入るに違いない」である。

 女王陛下…さすがだな。侮れんというワケか…だがこんなチャンス逃す俺じゃないぜ。
「ですから、私困ってしまって…」
「という事は補佐官殿はボディガードの話が出た時に俺のことを思い付いてくれたって事か?」
 しまったというアンジェリークの顔が見る間に紅く染まった。
「いえっ!そのっ!」
「そうか…女王陛下がそう仰るのも無理はないな。守護聖は忙しいと言われているし。だが、まあ時間なんてどうにでもなるもんだ。ふうむ…そうだ、俺の推薦している人物に頼むにはちょっとお願いの仕方があってな」
「は、はい」
 紅く染まった頬を両手で隠しながらアンジェリークは返事をした。
「頼み方次第では、給金なぞいらないぜ」
「ロボット、とかですか?」
「なかなか面白い発想だな。だが残念ながら生身の人間だ」
「ではどうして?」
「フッ…すぐにわかるさ。さあ、その頼み方なんだが、その可愛い両手を胸の所で組んで…そう。そしてこう言うんだ。『お願い、私を護って』ってな」
「そんな簡単な事でいいんですか?」
 オスカーの微笑みは消えない。彼はアンジェリークの両肩に手を置いて続けた。
「ついでに相手の目を見つめて言えば完璧だな」
 両手を組みながらアンジェリークはブツブツとそのセリフを唱えていた。
「さて、練習してみるか?こっちを向いて、言ってごらん?」
「あ、そうですね」

 アンジェリークはおもむろにオスカーの顔を見て手を組みなおした。
「お願いします。私を護ってください」
「ちょっと固いかな?さっき俺が言った通りでいい。それからちょっと上目使いな視線が効果的だな」
 上目使いってこんなカンジかなという顔でアンジェリークは言った。
「お願い、私を護って…」

 オスカーが微笑んだな、と思った瞬間、肩にあった両手が腰に回りゆったりと抱きしめられた。
「承知したぜ、俺のお嬢ちゃん。これからは俺が如何なる時、如何なる場合でも君を護ってみせるぜ、約束だ」
 その優しい声音にうっとりとなった。こんな風に耳元で囁かれると夢見心地になってしまう。酔ってしまう。でもすぐに疑問符がたくさん浮かんだ。
「…オスカー様、…?」
「言葉通りだ。俺は君を護る。今から俺は君だけの騎士だ。」
 アンジェリークは目をパチクリしてしまったが、はっと我に返ると叫んだ。
「そんなのダメです!ロザリアに怒られてしまいます!」
「そうか?」
 だがそう言われて 『はいそうですか』と引き下がる気も全く無いが。
「じゃあ、これは二人だけの秘密にしておけばいい。」
 な?とウインクされてアンジェリークは言葉もなかった。
「誰にも俺がガードしているなんて言わなければいいんだ。陛下に聞かれたら内緒だと言うんだ」
「でも…それじゃあ、オスカー様が大変です」
「言っただろう?時間なんてどうにでもなるってな。気にするな。それより君の安全を護る事が出来てうれしい。もっとも、俺では役不足とか気に入らないなら…」
「そんな!とんでもないです!」
「ならば、決まりだな」

 オスカーは色々と考えをめぐらせた。
 四六時中ぴったりと行動を共にする女王補佐官と炎の守護聖。それがガードする為という事情を知らなかったら、人はどういう風に見る?
 答えは明瞭じゃないか。
 二人は特別な関係である。
 オスカーは思わずニヤついてしまった。願ったり叶ったりな展開だ。他の男、特に一般人など、彼女に近づこうなんて思う奴はいなくなる。炎の守護聖の恋人に手出ししようものなら、どういう事になるか想像したくないだろう。

 問題があるとすれば俺が視察に出ている時だ。時には数日間聖地を留守にする。隙が出来るとすればその時だが、どうするか。部下を付けるか。
 いや、それは必要無いな。ここには俺の次に最強のガードがいらっしゃる。
 他ならぬ女王陛下だ。
 状況を考えてみる。終始俺がアンジェリークと一緒だと、たぶん陛下は不満タラタラな毎日だろう。俺が留守をすれば、ここぞとばかりに陛下はこのかわいい娘を独占するだろう。彼女は女王宮の奥で至極安全に護られるという訳だ。
 オスカーは笑っていた。楽しくて仕方がないという風情で。

「オスカー様?あの…」
「ああ、そうそう。給金だが、ロハにするイイ方法があるんだ」
 これ以上オスカーに負担をかけられないが…どうすればいいのかしら。オスカーの申し出は夢の様に嬉しいものであった。けれどやっぱり断らなくっちゃいけないかしら。そうよね、申し訳無いわよね…。でもでも…こんな嬉しい申し出をどうして断れるのかしら。
 ロザリアにクギを刺されてもいるけど。うーん、どうしよう。彼女の頭の中はぐるぐるしてきてオスカーの言っている事が頭にちゃんと入らない。
「はい」
 それにロハと言われても…そんな!守護聖さまに対して、タダ働きしろなんて!いくら私が女王補佐官だからって許されるものではないし。
「さっきのお願いをもう一度してくれればいいんだ」
 やっぱりどうしよう、ロザリアにバレちゃったらひどく怒られちゃう〜。
「明日の朝、俺のベッドの中で、な?」
 私ウソをつくのが下手だから内緒なんて言っててもすぐにバレちゃうだろうな。

「護身術だって俺が教えてやろう。君は俺を投げ飛ばしたいんだろう?さっき憧れているって言っていたじゃないか。それも叶えてやれるぜ。俺のベッドの上なら安全だからな」
 ロザリアってばそういうカンって鋭いのよね。ああ、でもなんでも出来るオスカー様に習えば護身術なんてすぐにマスター出来るかも!そうしたらオスカー様にかける負担も少なくて結局はいいのでは。
「アンジェリーク?」
「あ!は、は、はい!とってもいい考えだと思います!」
 手酷く断られるか、冗談と受取られて笑われるか内心ヒヤヒヤしていたオスカーだったが、思いもかけず快諾を得られて心のなかでガッツポーズをした。深い意味を彼女が察したかどうかは、この際考えない。
「じゃあ、今日仕事が終わったらさっそく俺の館においで。夕食も俺の家で一緒に食べよう」
 彼女が気が変わらないうちにとっとと決めてしまおう。
「はい!でも御馳走になってしまっていいのですか?」
「かまわんさ、君ならいつでも歓迎だ」
「うれしいです!」

 いえいえ、御馳走になるのは君だけじゃないさ。俺だってちゃんといただくぜ?


・◆ FIN ◆・



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