One Heart

2000.8.11 ・◆・ A-Oku 




「きらい、キライ、大っ嫌い!」
 扉を開けたその瞬間にこんな言葉をぶつけられた。
「アンジェリーク…」
 つぶやいたひと言は飛んでくるクッションの音にかき消された。
次から次へと飛んでくるそれをよけることなど造作もない。だがオスカーはそれをしなかった。今より怒ることは火を見るよりも明らかだからだ。
 クッションの一群が無くなって、アンジェリークは肩で息をしながら大声を出した。
「どおして よけないんですかっ」
オスカーは答えない。
 アンジェリークの目が大きく開かれる。近くにあった『何か』をつかむと力いっぱい投げつけた。
「オスカーさまの ばかっ」
 そう叫ぶとオスカーの横を通り抜ける。オスカーはそれを背中で見送った。
どこか遠くで扉の閉じる音がした。
オスカーは手近の椅子を引き寄せると座り込んだ。
「大嫌い…か…」
 天井を仰ぎ、右手で顔の上半分を覆ったその姿を見て、人は彼が泣いている、と見るかもしれない。だが今、部屋には彼ひとりのみ。窓の外から差し込む青白い月の光がわずかながらその存在を主張していた。

 オスカーにはアンジェリークが怒っている理由に心あたりがあった。ただし、ありすぎた。
   ひとつは、ここのところ忙しすぎてゆっくり話ができなかったこと
   ひとつは、同じ理由で家に帰ることすらままならなかったこと
   そして――――
 最大の原因であると思われることは、朝、アンジェリークが「今日だけは絶対今日中に帰って来てくださいね」と言い、「必ず」と答えておきながら その約束をたがえたこと。
 …そう、オスカーが帰宅した時には、すでに時計の短針と長針は深夜のランデブーを果たした後だった。
 目を開けてテーブルを見渡せば アンジェリークがどんなに今日(正確には昨日だが)楽しみにしていたか、わかる。
   一輪挿しに赤い花
           程よく冷やされたシャンパン
   並べられた皿の上のごちそう
形が少しばかりいびつなのはアンジェリークの手作りだからだろう
 まともな時間に帰れさえすれば、温かい料理と優しいぬくもりを感じながら幸せな一日で終われるはずだった。
 それだけ大事な日だった。アンジェリークにとって、というだけではなくオスカーにとっても。
二人にとって大切な記念日だった。

 ふいにオスカーは自分が手にしている物に気づいた。
― 白いうさぎのぬいぐるみ ―
 アンジェリークは何を思ったのか、うさぎに自分の名前をつけてオスカーにプレゼントした。 それも、もう昔のことなのだが。
 これを投げつけたアンジェリークの気持ちが胸に痛かった。
「なあ、『アンジェリーク』? 君のご主人さまはどうすれば機嫌を直してくれるんだ?」
 その赤い目が恨めしそうにオスカーを見ている。
「…答えるわけはないか。とにかくお嬢ちゃんを元に戻すとするか。」
 立ち上がり独りごちて うさぎのアンジェリークを定位置に戻そうとした。
「…ごめんな。どうやら君をまだそこに戻すわけにはいかないらしい…。じゃあ 行くとするか。」
 後には誰もいなくなった部屋が残された。


「ばかばかばかばかばかばかばかぁ」
 壊れた機械人形のように同じ言葉を繰り返しながら アンジェリークはとぼとぼと歩いていた。その目元には涙が光っている。
「あんな事、言うつもり無かったのに…」
 口をついて出るのは、後悔。
 たどり着いた公園でブランコに座り、惰性で揺らしながらアンジェリークは悲しみに暮れていた。
 今オスカーが忙しいことは勿論知っている。他の人間がどんなに協力しても炎の守護聖にしか出来ないこともあるし、オスカーでなければ判らないことも多々ある。
 対するアンジェリークはといえば、オスカーに比べれば遥かに暇だった。
 必然的に帰りの遅いオスカーを 二人の家で待つ生活が続いていた。「先に寝ていていい」と言ってくれていたが、アンジェリークはそれがイヤだった。彼が家に帰った時、きちんと出迎えたかった。顔を見て「おかえりなさい」が言いたかった。

「ごめんなさい」
 アンジェリークは手に持っていたぬいぐるみを目の高さまでかかげると ぺこりと頭を下げた。さきほどオスカーに投げつけようと手にしたまま、持ってきてしまったらしい。
 一番好きな人と同じ名前だから無意識のうちに投げられなかったのかも知れない。
「痛くなかったですよ…ね?」
「いいや、痛かった」
 まさか自分の問いに答えが返ってくるとは思っていなかったアンジェリークは声のするほうを見上げた。
「オスカーさま…」
「目が赤い…泣いていたな?」
 後ろから覗きこんでいるオスカーの顔は至近距離にある。アンジェリークの視界には 星空と彼の瞳しか映っていなかった。
「オスカーさまの瞳は…あおいですね…」
 アイスブルーの瞳が細くなった。
「人を愛する時、目は青くなるんだ。」
「…。今の私は赤いんですよね…。」
 オスカーは正面にまわると、アンジェリークと目の高さを揃えた。
「すまない…アンジェリーク…。」
「…わたしの方こそ、ごめんなさい。痛かったんですよね?」
「俺の心が、な。」
 日頃のオスカーを知る者ならば、目を丸くするような物言いであった。共に暮らすアンジェリークでさえ、驚きを隠せない。
「うそです…本気にしちゃ、だめ…。アンジェリークにはオスカーが必要なんです…。」
 唖然としたままのアンジェリークの前で、オスカーは手にしたうさぎを軽く振った。
「どっちの『アンジェリーク』だ?」
 その一言で正気にかえり、アンジェリークは頬をふくらませた。
「もうっ…。りょうほ…」
 言い終わるよりも前に口をふさがれた。

「もう…」
 数瞬の“ふれあい”のあと、同じセリフを今度はばら色に染めてアンジェリークは言った。
「やっぱり泣いているよりも怒っている時の方がずっといい。」
 抗議しようとする彼女を指一本でやさしく制した。
「笑っているときが一番だ。」
「オスカーさま…」
 再び降りてきたオスカーと重なる直前、アンジェリークは口を開いた。
「待って」
 言うが早いか、ブランコの上に立ちあがる。この時、オスカーがおあずけを喰った犬のようだったことに彼女は気づいただろうか。
「オスカーさまより背が高くなる機会なんかまず無いでしょう?」
 はにかみながら話すアンジェリークにオスカーの顔にも笑みが浮かぶ。
「少しずるいけどな…。」
 オスカーのもとへ天使が舞い降りる――
「…ん…」
 アンジェリークが再び目を開いたときには、オスカーの中にすっぽり収まっていた。
「…帰ろうか?」
 腕の中でこくんと金の髪が揺れる。

「オスカーさま、時計持ってますか?」
 アンジェリークはオスカーから時計とうさぎのアンジェリークを受けとった。
「…やっぱり。この時計、合っていないですよ。」
 そして彼女はねじをくるりと回す。


  ――ときが巻き戻される――


「家の時計もみーんな狂っているの。」
“正確な”時を刻み出したそれを返しながらアンジェリークは言った。
 オスカーの瞳がより一層“青く”煌いた。
「それじゃあ、全部直さなければ行けないな。」
「はい。」
 小さくうなずいたアンジェリークの笑顔がふわりと風に乗る。


 今日はふたりが再び生まれた記念日。
 そのこころはひとつ――


・◆ FIN ◆・



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