The Bringer of War
戦争の神 〜火星〜

1999.4.22 ・◆・ 佐々木優樹 




  「是非、私に行かせてください」
オスカーは先程から、尊敬して止まない守護聖筆頭と押し問答を繰り広げていた。
「待つのだ、オスカー。今、王立研究院が総力をあげて調査に乗り出している。とにかく、今は報告を待て」
「遅すぎます。それでは、おそらく滅亡する星が出てくるはずです」
「しかし‥‥‥」


256代女王を決定する女王試験も終了し、新宇宙は活気に満たされていた。世界が崩壊の危機に直面していた事実が嘘のように、穏やかで安定した平和な時間の再来。
聖地の時間で数ヶ月の時が流れ、下界ではその女王試験の事実さえも遙か過去の『昔話』になりつつあるその頃、民は夢を育む心を取り戻し、発展へ向けて緩やかに歩き始める。
しかし、向上心というものは、えてして闘争心にも繋がる。それが、歩き出したばかりの幼子の心なら、尚のこと強く。
人々の希望はなにも正の方向にばかり向かうわけではない。それは、永い年月を見守ってきた守護聖たちなら誰でも認めざるを得ない事実である。
そして、この時、懸念されていた事態は現実のものとなっていたのである。


ジュリアスはため息をつく。かけがえのない友にして忠実な部下でもあるこの青年が、自分に対しここまで強固に出ることは滅多にない。否、これまでありえなかったと言っても良いだろう。
しかし今日のオスカーは違っていた。彼はジュリアスに一歩も譲ることなく、己の意志のままに己が言葉の正当性を主張している。
「元を辿れば、今回の件は私にも責任の一端があります。私が責任を取るのは当然であり、必要なことではありませんか」
新世界において突如炎のサクリア異常が起き、その勢いは星全体を覆い、現在判明しているだけでもふたつの惑星が戦乱へと突入している。その歪みは宇宙全体にも確実に影響を及ぼし初めている。
それは、先の女王試験において未知なる大陸に最も多く注がれたのが炎のサクリアであったことも、決して無関係ではあるまい。オスカーは自らの意志によって、女王候補の望み以上のサクリアを放出した。その結果、新たな世界は強靱な波動に包まれたが、サクリアのバランスが保たれたか否かは誰もはっきりと結論付けることができない。一時的な炎のサクリアの増加が今回の異常事態の原因でないと、誰に言い切れるだろうか。
オスカーはその事に責任を感じている。
「そなたの言い分も分かる。しかし、まだ未完成のこの宇宙はあまりにも不安定なのだ。下手に動けば、事は惑星だけに留まらぬ」
「だからと言って、このまま黙って指をくわえていれば滅びると分かっているふたつの星を見捨てることなど出来かねます」
「そなたの身の安全も保障できぬ。行かせるわけにはゆかぬ」
「行かせて下さい。いえ、例えお許し頂けなくとも、私は‥‥‥俺は、行きます」
「オスカー!」
あまりと言えばあまりな言葉に、思わず声を張り上げるジュリアス。しかし、オスカーは怯まない。穏やかに、けれどその瞳の奥に真摯な光を宿し、その決意を投げかける。
「俺に行かせてください。‥‥‥守りたいんです。この、世界を」
「オスカー」
「守りたいんです。俺はこの世界を愛しているんです。あの方の    陛下の愛するこの世界を」
ジュリアスは息を飲んだ。
現陛下は先の女王試験に置いて、共に試験を受けていた女王候補の片割れを圧倒的に引き離し、至高の座へと駆け上がった。一見頼りなさそうな、どこにでもいるような愛らしいだけの少女だった彼女は、その身に宿す女王のサクリアを示し、宇宙崩壊前夜に生まれるべくして生まれた、生まれながらの女王であることを示した。
けれど、誰もが知っている。
その心が向かう先が    求めていたものが、救世主にして母の立場などではなかったことを。
「陛下の守るこの世界のために、俺は俺に出来る限りの力を尽くしたいんです」
現女王は、ひとりの青年を愛していた。それは、彼女にとって鮮烈な、そして永遠の愛だった。
青年も、目の前に舞い降りた天使を愛していた。それは、彼にとってたったひとつの、そして永遠の真実だった。
けれど、腕の中に広がる宇宙はあまりにも儚げで、そして女王候補だった少女はあまりにも宇宙に愛されすぎていて    熱い想いを語り合う瞳ほどに言葉を織りなすことの出来ぬままに、少女は女王となり、青年はその忠実な臣下となった。
もう、ふたりが試験の頃のように笑い合うことはない。
もう、あの頃のように寄り添う事もない。
定期的に繰り返される謁見の日でさえ、お決まりのご機嫌伺いの挨拶と事務的な報告以外、言葉を交わすことさえない。
そこにいるのに、そこにはいない。こんなに近くにいるのに、届かない遠さ。
けれど、薄いカーテン越しに、見えないけれども絡み合う視線を、その場に佇む誰もが知っている。
立場の壁に隔てられて触れあうことができない身体とは裏腹に、心は以前にも増して互いを求め、惹かれ合って溶け合っていることを。
「お願いします、ジュリアス様。俺に行かせてください。陛下のご心労を取り除いて差し上げたいのです。その為になら、俺は命も惜しくはありません」
「‥‥‥オスカー、そなた‥‥‥」
これまで奔放に恋を楽しみ、夜毎日毎の睦言を乗せてきたであろう唇からは、現女王即位の日から一度たりとも甘い囁きは零れていない。愛していると叫べないことが、彼にとってどれほどの苦痛なのか、ジュリアスに計り知ることはできない。
分かることは、これが今の彼にとって出来うる最高の愛し方なのだということだけだ。
    彼の本質である激情を抑え込み、ただひたすらに姿も垣間見る事の出来ぬ、二度とは寄り添えぬ少女の為に命さえも投げ出せる。
否、これこそがオスカーの本当の姿なのだろう。紅く燃え上がるばかりが炎ではない。
紅い炎は苛烈に見えるかもしれないが、それ以上に燃えさかる炎もあることを、知っているだろうか。
青白く燃える炎が、冷たくさえ見えるその輝きが、本当は紅蓮のそれよりも熱いことを    
「行かせて下さい、ジュリアス様」
「‥‥‥分かった。そなたの願い通りにしよう」
「ありがとうございます! では、早速にも」
「だが」
ジュリアスはゆっくりと顔を上げる。
「約束してくれ。必ず、生きて戻ると。まだそなたは生きねばならぬ‥‥‥他ならぬ、陛下の御為に」
「俺は死にません」
きっぱりと言い放つ。さも、当然であるかのように。
「俺は死にません。ジュリアス様はこのオスカーが、愛する女性を涙に暮れさせて死にきれるとお思いですか?」
不敵に口の端だけで笑う姿は、いつもと変わらぬ炎の守護聖の姿。
ジュリアスは胸の奥に宿る温かさと、そして不意にこみあげる涙を隠すかのように、微かに苦笑した。
人を愛する事が人を強くするのだとしたら、きっと、今のオスカーは誰よりも強い。
静かに、けれど確かな熱さで燃えさかる、青い炎の塊。
叶えられなかった恋への悲しさと、消えない愛の確かさを抱える青年を、ジュリアスはうらやましくさえ感じるのであった。


星の間に立って、遠くの星で力を尽くす青年の仕事ぶりを眺めていたジュリアスは、静かに扉が開く音を聞きつけて振り返った。
「はぁ〜い、ジュリアス。こんなとこで何してんのさ」
「オリヴィエか」
ふっと目を細めて、ジュリアスは再びスクリーンに目を映す。
「みんな執務室に待機状態じゃない? もう、暇で暇でしょ〜がなくってさぁ。ねえ、なんか変わったこととかないわけ?」
「断られたのか」
質問には答えずに静かに言う。その伏せた瞳が僅かに笑っている気がして、オリヴィエはため息をついた。
「なんだ、知ってたんだ」
「ロザリアが、王立研究院から出てくるそなたの姿を見たと言っていたものでな。大方、オスカーに協力を申し出て、断られて帰ってきたのだと思ったのだ」
「ふぅ、やれやれ。まったくその通りなんだけどさ」
オリヴィエは忌々しそうに舌打ちをする。
「この私がせっかく一緒に行ってやろうってのにさ、あのバカタレ、なんて言ったと思う!?」
「さあ‥‥‥」
「『悪いな、オリヴィエ。気持ちだけは受け取っておくぜ。だが、こればかりは俺自身の手で決着を付けたいんだ。いつでも、陛下にだけは誇れる俺でありたいからな。…どこかのぼうやみたいだと笑うか? だが、これが俺の本心なんだ』だってさ! 私がちょっと手伝ったくらいで、そんなものがどーにかなるとでも思ってんのかねぇ。ホントに、バカなんだからさ」
「仕方ないであろう。あれが、オスカーなのだから」
ふたりは揃って、スクリーンの中で戦乱の炎の中を駆け抜ける青年の姿に目を向けた。
「あれがオスカーなのだ。陛下の‥‥‥アンジェリークのただひとり、愛する男なのだから」
「そーだね。あんなのでも、あの娘がこの世で一番愛してる奴だからね」
青年の振り上げる剣が、舞い上がる炎を切り裂いた。
星の間にたたずむ二人は、同僚が無事に戻ることを、半ば確信を抱きながらも祈らずにはいられなかった。


『俺は、死なない』
オスカーはその剣に猛る炎を乗せ、混乱しきった若い星に祈りを注ぎ込む。
『俺は死なない。君が俺を愛してくれる限り。君がいる限り、俺は君の掻き抱くこの宇宙を守り抜く』
ただ一言を告げることが出来なかったことを、後悔していないわけではなかった。
彼女の温もりに触れられない世界が、虚しくないわけではなかった。
けれど、知っている。本当はあの頃と、何も変わってはいないのだと。
自分が彼女を愛している限り、彼女が自分を想ってくれるかぎり、心が流されることはないのだから。
『俺は死なない。君の微笑みを見ることは出来なくても感じることはできるから。だから、死なない。君を泣かせたまま、死んだりできない』
命をかけることは出来ても、死神に屈することは出来ない。
『生きている限り、希望は消えないから』
オスカーは剣を振るう。闇の中で冴え渡る煌めきの中に、残酷な運命さえも切り裂くほどの強靱な心を込めて    


青年は疾走る
紅く染まった大地を 青き炎の塊と化したその身で駆け抜ける
戦火に乱れた心を導くその姿は何よりも雄々しく美しい
真実の強さを求める者のなかには 血塗られた荒野の空にその姿を見た者もいたという
抑え切れぬほどの愛を胸に秘め 炎を切り裂く聖なる軍神

      
・◆ FIN ◆・



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