信じています

1999.3.30 ・◆・ たちばな葵 




   事の詳細については、聖地の正式記録員がちゃんと残すはずだから、そっちを読んでもらえばいい。
 新宇宙初代女王歴一年、いきなり聖地を襲った事件についてだから結構詳しい記述がされると思う。レヴィアス・なんとかという長い名前の異世界のとんでもないヤツが、この宇宙を危機に陥れたって話だ。その危機を、隣の宇宙の若き新女王アンジェリークが、我が身の危険も顧みず闘って救ったっていう感動の冒険ストーリー。
 だけど俺は、その正式記録に残らないところを、どうしても書き留めておきたい。
 もちろん文章を書くなんて大の苦手だから、ろくな記録にはならないと思う。マルセルやゼフェルが聞いたら吹き出すか同情の眼差しをよこすかのどっちかだって、そんなことは百も承知だ。
 それでも残しておきたいのは何故なんだろう。
 自分のためだけじゃないような気がして、だからこそ日頃はあまり使わないようなこんな上等の羽根ペンまで用意して、こうして机に座っている。
 俺のこれからの生き方を、ほんのりと優しく示してくれた人たちのために。
 勇気を司る俺が、自分のための勇気を奮うことを恥じないために。
 そして、誰よりも、愛してやまない、あの勇気に満ちた彼女のために。

・◆・

 女王試験が終わって、栗色の髪のアンジェリークが卵から孵った新しい宇宙の女王として聖地を去ったとき、俺はどうしようもない喪失感に自分でも笑ってしまうくらい愕然としていた。
 考えてみたら、まるでジェットコースターに乗っているみたいなめまぐるしい日々だったような気がする。
 だから彼女が去って急に静かすぎる日々がやってきて、それを現実として自分の掌に握りしめられるようになったとき、あまりにも激しいそのギャップに頭の中が真っ白になってしまったんだ。
 そう、現陛下がまだ女王候補でいらした頃から考えたら、まだ守護聖になって日も浅いというのに俺は二度も女王試験に直面している。ルヴァ様にそれとなく聞いてみたけれど、守護聖がその在任期間中に二度も三度も女王試験に関係することは稀だという。ましてや聖地の時間にしても一年や二年といった短期間にたて続けに女王試験が行われることは、過去の記録にもないらしい。
 現陛下が女王となられた最初の試験の時には、正直言って俺は必死だった。余裕がなかった、と自分でも思う。なにしろあの時は宇宙の存亡がかかっていたし、もし俺のミスで何か不都合が生じたらどうしようかと、そんなぴりぴりした気持ちばかりが先にたっていた。
 だから、次の時にはもう少しリラックスして臨みたいと思っていたのは本当だ。栗色の髪のアンジェリークと、天才少女というふれこみのレイチェルが競った次の試験。でも、俺はちょっとばかり余裕を持ちすぎてたのかもしれない。
 なぜって俺は栗色の髪のアンジェリークを女王候補としてではなく、ひとりの、同世代の女の子として見てしまっていたんだ。
 彼女は負けず嫌いだった。
 試験に対して、火の出るような一生懸命さで取り組んでいた。
 その燃え立つような彼女の姿が、俺の胸の底をずきん、とさせた。
 彼女の力になりたいと思った。事実、育成を頼まれたら持てる力の全てをかけて協力した。
 何度も同じ時間を過ごした。夜の庭園を二人で歩いたこともある。
 彼女が俺に向ける笑顔が嬉しくて切なくて、恥ずかしい話だけど一緒に過ごした日の夜は目がさえて眠れないこともあった。ただ、その笑顔が俺だけに向けられているのではないんだろうなと想像することが、辛くてたまらなかった。
 そう、彼女が憧れていたのは、俺じゃない。
 いくら俺が唐変木でデリカシーがなくて女の子の気持ちに鈍感でも、そのくらいのことは分かる。
 彼女が淡い想いを寄せていたのは、俺よりも背が高くてがっちりしていてハンサムで、剣も乗馬もダンスも何もかも上手くて、どう言ってどうすれば女の子が喜ぶかを誰よりもよく知っている、真紅の髪にアイスブルーの瞳の―――炎の守護聖だったんだ。
 実際、そのことを嫌と言うほど思い知らされたのは、占いの館で彼女にオスカー様との橋渡しを頼まれたときだった。あのときは、本当に、打ちのめされたって言っていい。
 オスカー様の話をするとき、彼女の瞳は夢を見るように潤み、いつも勝気な光を湛えているそれに柔らかな紗がかかる。やんわりと頬を染め、はにかむという動詞はこういうときに使うのかと思うくらい、絵に描いたようなはにかみ方でうっとりとオスカー様のことを語るアンジェリーク。
 そんな彼女の姿を見てなんで打ちのめされるのか考えたとき、俺は彼女が好きなんだ、って、自覚した。
 嫉妬が恋のかたちをはっきりさせてくれたわけだけど、こういう自覚の仕方はかなりありがたくない。
 なぜって俺は、オスカー様と彼女を争う気はさらさらなかったから。
 オスカー様は俺の目標だ。
 守護聖として生活し始めたころ、不安で、何も分からずに暗い海を漂っている感じがしてた。オスカー様はそんな俺の灯台なんだ。あの強い光を目指して進めば、何も畏れることはないって、そういう気分になる。
 乗馬や剣の稽古だけじゃなく、なにくれと俺のことを気にかけてくれている。もちろん恩着せがましくも押しつけがましくもなく、ごく自然に、助けて欲しいときには助けてくれ、励まして欲しいときには励ましてくれる。それも、べったりした優しさじゃなくて、厳しい優しさっていうのかな、そんな感じだ。答えを全て教えてくれるんじゃなくて、ここまでは助けてやろう、でもここからは自分で考えろ、みたいなラインをいつも示してくれる。ちょっぴりだけどお酒の飲み方も教えてもらった。
 とにかく守護聖としてのあらゆる部分について、オスカー様は俺にとって人生の指針なんだ。
 そんな人とアンジェリークを争うなんて、できっこない。まず、俺じゃオスカー様にかなわない。
 でも、そう思えば思うほど、苦しかった。
 アンジェリークがオスカー様に告白してふられちゃったときは、哀しいのか嬉しいのか悔しいのか、何がなんだか分からない感情で気持ちがものすごくぐらぐらした。
 結局アンジェリークは傷心を抱えたまま女王になって、補佐官レイチェルと一緒に新宇宙へ旅立ってしまった。
 俺は彼女に何も言えずじまいだった。
 でもそのとき俺は思った。もしいつか、万に一つの奇跡が起きてもう一度彼女と再会できたとしたら、そのときにはオスカー様に負けないくらいの自分でありたいって。そうして今度こそ彼女に自分の思いを告げるんだって。
 あり得ない未来のためだったかもしれないけれど、俺は自分を磨こうと努力した。
 そして、その万に一つの奇跡が起こった。
 レヴィアスの来襲で、俺達守護聖はばらばらの惑星に監禁され、陛下やロザリアは聖地の東の塔に閉じこめられた。
 何日監禁されたかも分からなくなるほどの時間の果て、俺を助けに来てくれたのは、俺が恋して焦がれて胸を震わせた、栗色の髪のアンジェリークだったんだ。

・◆・

 実際の話、女の子に助けてもらうのって、なんか男としてちょっと恥ずかしかった気もする。
 でも、正直言って、嬉しかった。だってもう会えないと思っていた相手に、会えたんだから。彼女の姿を見たときは、自分の目を疑った。あんまり彼女のことを恋しい恋しいと思っていたので夢を見てるんじゃないかと思ったぐらいだ。
 もちろん彼女は現陛下をお救いするために俺達守護聖を助けに来たわけで、それはよく分かってる。でも、きっとそれは偶然の産物なのだろうけど、彼女は九人の守護聖の中で、俺を一番最初に助けに来てくれたんだ。そのことがどんなに俺の胸を熱くさせたか、きっと彼女は分かってなかったんだろうな。
 それから残りのみんなを助けるために、俺は彼女たち一行と旅を続けた。
 楽しい旅だった、って言ったらものすごく不謹慎だ。だけど、俺にとってはなんだかひどく気持ちが浮き立つような、身体に力がみなぎってくるような、そんな日々だった。
 再会したアンジェリークは、以前にも増してつよい少女になっていた。いや、少女なんて言ったらもう失礼だ。彼女は新宇宙の、立派な女王なんだ。
 それに比べて、俺はどのくらい変わることができたんだろう?
 別にそれを証明したかったからってわけじゃないけど、俺は旅の間ずっと闘いの先頭に立った。気丈なアンジェリークはどんな敵が襲いかかってきても、果敢に立ち向かっていく。そんな彼女をかばいながら、俺は剣を振るった。伊達にオスカー様から毎日稽古をつけてもらっていたわけじゃない。
 だけどあるとき、怪我をしてしまった。彼女に向かってきた敵の触手を防ぎきれず、したたか足を切られてしまった。左の大腿部から血が噴き出した。ヴィクトールさんが代わりに敵をなぎ倒してはくれたけど、俺はその場に膝をついたっきり動けなくなって、地面にぼたぼた垂れる血を見ながら何度も剣を支えにして立とうとしたんだけど……駄目だった。
 その夜の宿屋で、彼女は俺の部屋までわざわざ手当をしにやってきてくれた。
 怪我してすぐはヴィクトールさんが止血をしてくれて、メルが一通りの手当をしてくれていた。大きな血管を切ったわけでもなかったし、俺としてはもうそれで十分だと思っていたのに、彼女は包帯と洗面器をかかえて俺の部屋に来たんだ。
「包帯を換えさせて下さい、ランディ様…」
 俺は熱を持ってきた傷口のうずきに耐えながらベッドに横になっていたので、あわてて上半身を起こした。
「いいよ、そんな、アンジェリーク! 君だって疲れてるんだし、ゆっくり休めよ! 俺は別に」
 大丈夫だよ、と言いかけて動かした足が猛烈に痛くって、思わず泣き笑いみたいな顔になってしまった。
「ランディ様! 動かしちゃ駄目です!」
 あわてて駆け寄ってきた彼女の髪から、ふわりといい匂いがした。
「こんな…痛かったでしょう…ごめんなさい……」
 めくれた毛布からのぞく俺の左の太股には、大きくにじんだ血が茶色く乾いて堅くなった包帯が巻き付いていた。
「何言ってんだよ、闘ってるんだから怪我するのは当たり前だよ。それに俺は怪我は慣れてるしさ。ほんと、このくらいどうってことない……」
 どきり、とした。
 彼女の目に、涙が浮かんでいたからだ。
 俺の知っている勝気なアンジェリークは、泣かない。どんなに辛いことがあっても歯を食いしばってがんばって、笑顔を忘れない。そんな彼女が、目にいっぱいに涙をためて、それでもその液体をこぼすまいとまばたきをこらえながら、じっと俺を見つめている。
「アンジェリーク……どうしたの…? 俺何か悪いこと言ったかい…?」
「…ごめんなさい、………違うんです、私」
 アンジェリークはきゅっと唇をかんで、うつむいた。
「私のためにランディ様がこんな大怪我なさって、申し訳なくて、どう謝ったらいいかわからなくて……」
 そうなんだ。彼女は自分のためには泣かない。
 俺が初めて見る彼女の涙が、ほかならない俺のための涙だと分かって―――不謹慎の極みだけど、俺はこの旅に感謝をした。彼女との時間をくれたこの運命に。
「アンジェリーク」
 すっと自然に手が出た。俺はアンジェリークの手を握ってやんわりと引き寄せた。立ちすくんでいた彼女のひざが折れ、顔が近くに寄ってくる。
「あのさ、今こんなこと言うのってすごくおかしいかもしれない、でも俺………聞いて欲しいんだ。あの……君に助け出してもらって、俺、ホントに嬉しかった。君にまた会えた、それだけで天にも上る気持ちだったよ。その君を守ってした怪我なんだから、君が謝ることなんてない。怪我しちまった俺が未熟なだけなんだから。…カッコ悪いトコ見せちゃったよなぁって、…思ってるんだ」
「そんなことありません!」
 アンジェリークが突然大きな声を出したので、俺はちょっとびっくりした。
「かっこ悪いなんて、…そんなこと絶対ありません! ランディ様、とてもかっこ良くなられました、本当です!」
 少しムキになって言いつのる彼女の、少し上向いた鼻の頭が目の前にあった。
 最高の褒め言葉だ。
 大好きな彼女から、そう言ってもらえた。それだけで、もう十分だった。

・◆・

 それからちょうど一週間たって、俺達は坑道のある惑星に閉じこめられていたオスカー様を助け出した。
 オスカー様はかなり消耗してはいらしたけれど、とてもお元気そうで、俺は結構ほっとした。
 でも、本当のところを言うと、俺はアンジェリークがオスカー様に対して、あるいはオスカー様がアンジェリークに対してどんな態度をとるかが気になってならなかったんだ。
 その日の夜、驚いたことにオスカー様が俺の部屋にいらっしゃった。手にはブランデーのビンとグラスが二つ。
「よう、つきあえるか、坊や?……おっと、せっかく助けに来てくれた命の恩人を坊や呼ばわりしちゃばちが当たるかな」
 監禁されていたとは思えない元気さと陽気さで、オスカー様は俺の前に座った。
 俺は足の傷もだいぶ良くなって、後衛ではあるけれど戦闘にも参加できるくらいに回復していた。
「助けてくれてありがとうよ、ランディ。本当に心から感謝しているんだ」
 オスカー様はそう言って、グラスにブランデーをついでくれた。
「命の恩人に乾杯」
 そう言って微笑んだオスカー様の笑顔はやっぱりものすごくかっこよくて、俺は本心から、やっぱり俺がどう逆立ちしたってこの人にはかなわないんだろうなぁと思ってしまった。
 でも次の瞬間に、オスカー様の眉が曇るのが、俺には辛かった。
 理由は、痛い程良く分かる。
 オスカー様は、陛下の心配をなさっている。
 俺は、今日の昼間、オスカー様が閉じこめられていた暗い牢獄の扉をこじ開けたときのことを思い出していた。
 俺とヴィクトールさんが力ずくで鍵を壊し、ゼフェルとエルンストさんも加えたみんなで必死の力で重い鋼鉄の扉を押し開けた。開いた扉のほんのわずかの隙間から、アンジェリークが中に声をかける。
「オスカー様! いらっしゃいますか、オスカー様!!」
 あのときのアンジェリークの必死の横顔が、瞼に焼き付いて離れない。やっぱり彼女はまだオスカー様のことを忘れられないでいるんだなと、なんだかひどく胸の奥が掻きむしられるような思いがした。
 真の闇に閉ざされた扉の向こうからがさりと人の気配がして、オスカー様の声がした。
「誰だ!」
「私です、新宇宙のアンジェリークです! 助けに参りました、オスカー様!」
「オスカー様、俺です、ランディです! ご無事ですか!!」
「オスカー様! ヴィクトールです、大丈夫ですか!」
「おうオッさん! こら、生きてんのかよ、え!?」
 口々に声をかけながら、さらにぎしぎしときしむ扉を渾身の力で俺達は押し開け続けた。徐々に見えてきた牢内、剥き出しの岩肌が冷たすぎる暗いその牢獄の中、両手両足に鉄鎖の戒めが痛々しい姿のまま、オスカー様は必死で扉の近くに這いずって来つつあった。そして、両の扉がつくるその細い隙間ごしに見えた俺を確認すると、オスカー様は開口一番、こう言われたんだ。
「ランディ、陛下は、陛下はご無事か!?」
 その言葉が電撃となってアンジェリークを打ったことが、俺には分かった。
 そう、オスカー様は女王試験の時、アンジェリークの告白を退けた。
 理由は明白だ。
 オスカー様には、想い焦がれる別の女性がいたからだ。
 それは、現陛下。金の髪のアンジェリークと呼ばれる、二つの宇宙を救った偉大な女王陛下。
 飛空都市で行われた女王試験の時、心の余裕がまるでなかった俺は、オスカー様と現陛下がどんな風に秘密の恋を育てて―――そしてそれを諦めたのか、実は詳しくは知らない。
 ただプレイボーイでならしたはずのオスカー様が、現陛下の即位後はめっきりそういう遊びをなさらなくなったこと、そして謁見の度に見えない光で交わされる二人の視線の絡み合いが、俺にその切ない経緯を想像させた。
 オスカー様は、陛下を愛しておられる。
 そしてたぶん、陛下も同じだと思う。
 その上で、二人は女王と守護聖としての日々を守り続けておられる。それって、どのくらい辛くてたまらないことなんだろう。俺が栗色の髪のアンジェリークを恋うのとは全く次元の違う、底なしの苦しさを伴う想いなんじゃないだろうか。
 オスカー様がそういう苦しい恋を選択なさっていることは、アンジェリークももう知っているはずだ。
 陛下の安否を問うオスカー様の必死の表情に一瞬、アンジェリークは愕然とした顔をしたが、でももう次の瞬間にはきりっと眉を引き締めて叫んでいた。
「陛下は主星の東の塔にいらっしゃいます、ロザリア様とご一緒に籠城なさっています! お命は無事です!」
 そして、言葉に表しようのない笑みを頬ににじませて、アンジェリークは言った。
「だから、どうか………どうかご安心なさって下さい、オスカー様」
 闇の中でも輝いて見えるオスカー様のアイスブルーの瞳が、ゆっくりと細くなった。そして、低い声が続いた。
「……ありがとう、お嬢ちゃん。感謝するぜ……」

 そんなことを考えてたら、目の前のオスカー様が、くつくつと小さく笑われた。
「どうした、ランディ。栗毛の天使のことでも考えてたか?」
「オスカー様」
 オスカー様はきゅっと勢いよくグラスの中の液体をあけられて、小さく息をつかれた。
「俺の教えた剣は、十分役に立っているようだな」
「はい、あ、でもこの前はちょっとドジっちゃって、怪我をしちゃいましたけど…」
「それも勲章の一つさ。やるようになったな、ランディ」
「ありがとうございます」
「飲めよ」
「はい」
 俺はちびりとブランデーを舐めた。まだまだオスカー様のように「かっこよくきゅっと」飲み干すのは無理だ。むせてしまうのが関の山のような気がする。
「アンジェリークは…」
 オスカー様の目が細くなる。
「いいレディになったな」
「はい……俺もそう思います」
「彼女にふさわしい男になりたいか?」
「!」
 いきなり核心を突かれて、俺は舐めかけていたブランデーを喉に引っかけてごほっと咳をしてしまった。
「ふん……図星だろう?」
「……」
 でも、彼女はまだオスカー様のことを忘れてはないんです、きっと。
 そう言おうと思ったけれど、言えなかった。
「信じることさ」
「…?」
 オスカー様の低いよく響く低音が、急に柔らかい声音になった。
「自分を、彼女を、そして運命を、な」
 そしてオスカー様は、にっこりと、あの極上の笑みを浮かべて、言われた。
「きゅっとやってみろ、喉が灼ける感触を楽しめるようになったら一人前さ」
「…はい!」
 俺は大きく肩を揺らして息を整え、グラスの中の琥珀色の液体を一気に喉に流し込んだ。
 食道がかっと燃え立つような感じがして思わず息が止まった。でも、俺は、むせなかった。
「いいぜ、ランディ。いい飲みっぷりだ」
 ほんの少し頬のそげたオスカー様の笑顔が、切なかった。

・◆・

 それからの旅で、オスカー様と俺とはずっと前衛に立って闘い続けた。一つ戦闘をこなすごとに確実に自分が強くなっていくのが分かった。それはそばにオスカー様がいるからだ。闘い方も、剣の使い方も、連携の仕方も、オスカー様と一緒に闘うことで全てが乾いた大地にしみこむ水のように自分のものになっていった。
 信じること、自分を信じること。
 必ずいい方に物事は転がっていく。
 たとえ一時辛い運命が目の前を暗黒のカーテンで覆ったとしても、それはいつか必ず強い光の前に消えていく。
 オスカー様という灯台を目指しながら、進む。
 それだけが今の俺にできることだと、そう思った。
 そして、様々な困難を経てついに俺達は主星に降り立ち、陛下とロザリアのいる東の塔にたどり着いたんだ。
 塔のてっぺんの部屋に踏み込んだとき、そこにはレヴィアスとロザリアと、そして陛下がおられた。
 ぐったりと消耗したその青白い顔、ロザリアに支えられながら立っているのもやっとのような、そんな陛下は俺達を見て、そして叫ばれたんだ。―――「オスカー様!!」………と。
 オスカー様は血糊のついた剣を構えたまま、応えるように叫ばれた。
「アンジェリーク、無事か!」
「はい!!」
 そのときの陛下とオスカー様の表情を、俺は多分死ぬまで忘れない。
 オスカー様の、その決意と闘志に満ちた瞳の輝きと、陛下の澄みきった碧の瞳のきらめきを。
 そうしてレヴィアスの虚像と闘って結局彼を逃がしてしまいはしたけれど、俺達は陛下をお救いすることに成功したんだ。
 だけどそのあと、塔を脱出する闘いが結構大変だった。その闘いの間中、オスカー様は陛下をかばい続けられた。指一本触れさせてなるかという闘気が、体中から炎となって燃え上がるような気迫だった。
 命を削るようなその戦闘のさなか、俺はひょっと陛下の顔を見て息を呑んでしまった。
 陛下は、幸せそうだったんだ。すごく。
 真っ白な血の気のない頬で、乱れた髪で、破れたドレスで。それでも陛下はオスカー様の広い背中の後ろで、とても幸せそうに見えた。
 信じておられたんだ。
 俺は、そう思った。
 陛下は、必ずオスカー様が来てくれると、ずっとずっと信じておられたんだ。だから、いつ果てるともしれない東の塔での封印された日々を、まっすぐに顔を上げて耐え抜いてこられたんだ。
 俺は鼻の奥が熱くなった。なんでそんな風になるのか自分でもよく分からなかったけれど、たまらなく泣きたくなった。
 それを隠すために、俺は吼えるように気合いを叫びながら、敵に切り込んでいった。
 やがて、やっとの思いで敵を倒したとき、乱れた息を立て直しながら剣を鞘に収めて―――そのとき初めて俺は、俺にじっと注がれている視線に気がついた。その視線が青く見開かれた大きな瞳からのものだと気がついたとき、胸がきつく絞られるように苦しくなった。
「ランディ様、お怪我、は」
「大丈夫だよ、アンジェリーク」
 アンジェリークの青い瞳が、わずかに潤んでいるような気がしたのは気のせいだったんだろうか。
 そのとき、とうとう陛下が気を失われた。
 オスカー様の腕に抱かれている陛下は、それでもやっぱり、幸せのゆりかごで眠っておられるように見えた。

・◆・

 指一本、触れさせない。
 たとえ俺が血だるまになろうと切り刻まれようと、アンジェリークにだけは指一本触れさせない。
 そう思って、最後の闘いを戦い抜いた。
 俺達に破れたレヴィアスの実体がどこへ去ってその後どういう人生を歩むのか、俺は知らない。
 確かなことは、俺達の宇宙に平和が戻ってくるということ。そして、俺は、闘いの日々の中ではっきりと自分の気持ちを、歩むべき道を確かめることができたということ。それだけだ。
 俺は、アンジェリークが好きだ。
 でも彼女は新宇宙の女王として、再び自分のいるべき場所へと帰っていく。
 もしかしたらもう二度と再び会うことはできないかもしれない。
 それでも、信じることだ。
 信じて、彼女に恥じない自分であり続けることだ。がむしゃらにやることだけが俺のいいところだって、俺は自分で思っている。
 彼女が新宇宙へ帰る前の夜、俺はまるで女王試験の頃にしたように、アンジェリークを夜の庭園に誘い出した。
「……足のお怪我は、もうすっかりいいんですか…?」
 少しためらいがちにそう言った彼女。月明かりがちょうど逆光になって、表情がよく見えない。
「ああ、もちろん。でも傷跡が残っちゃったな。でも、これは大事な傷跡なんだ……」
 俺は、ちょっと照れてしまって、彼女の目を見ずに言った。
「君を守ることができた、勲章だから」
「ランディ様」
 風が渡る。アンジェリークの声が、ほんの少し、ゆがむ。
 少しうぬぼれてもいいのかな。俺、アンジェリークに想ってもらってるって。
「私、………私……どうしても帰らなくちゃならない…」
「うん」
「……ランディ様、私………」
「信じてるからさ」
「……え」
「きっと、また会えるよ。俺、ずっと……」
 ごくっと息を飲み込んで、俺は続けた。前髪の生え際を指で掻きながらになっちゃったのは、やっぱりまだ照れがあったんだろうな。
「…ずっと君が好きだった。もう会えないと思っていたけど、こうしてまた会えた。だから、きっとまた会える。……できれば今回みたいな事件じゃなくて………」
 俺は、精一杯の笑顔を作ったつもりだった。でも、なんかいびつに歪んじゃってたような気もする。
「…次はもっと平和な会い方がしたいね」
 アンジェリークが俺の胸に飛び込んできた。俺の肩口に顔を押しつけているのは、きっと涙を見られたくないからだろう。そういう勝気で意地っ張りな彼女が好きなんだ。きっと、これからもずっと好きなままだ。
「信じています、ランディ様…! また…お会いできますね」
「うん、俺も、信じてる」
 キスしていいかいって聞こうかと思ったけどやめた。
 黙ったままで彼女の顎を上向かせて、唇を重ねた。
 柔らかくって、小さい唇だった。

・◆・

 また単調な生活が帰ってきた。
 陛下やロザリアも順調に執務に戻られ、俺達の宇宙は何事もなかったかのような平穏を取り戻した。
 俺はまた、いつものようにオスカー様に剣の稽古をつけてもらっている。
 一汗流した後、テラスでミネラルウォーターを一緒に飲みながら、俺はオスカー様に、どうしても言いたかったことを告げることにした。
「あの、オスカー様」
「ん、なんだ」
「今更なんですけど、………あの、ありがとうございました」
「…? 何の話だ、ランディ」
「信じることだ、…って、教えて下さいましたよね、あのことです」
 オスカー様は一瞬きょとんとなさって、それからまた例のくつくつ笑いで上半身をかがめられた。
「オスカー様は、信じていらっしゃるんでしょう」
「何を?」
 ちょっと意地悪げな目の光で、オスカー様は俺を見た。もちろん俺は、ひるまない。
「陛下を、です」
 オスカー様のアイスブルーの瞳がゆっくりと細くなり、唇の端が笑顔のかたちになった。
「無論だ。だから、諦めてなんかないのさ。……おっと、これはここだけの話にしといてくれ、ジュリアス様には内緒だぜ」
 オスカー様の笑顔に、朝の光がまぶしい。
「…俺は、陛下を信じてるよ………お前が栗毛の彼女を信じてるように、な」
「はい!」
「もう一本勝負するか?」
「お願いします!」
 俺は傍らの剣を握った。
 もう最近は、オスカー様は手加減をして下さらない。
 俺はそのことが嬉しい。
 ほんの少しだけど、俺はこのまばゆい真紅の灯台に近づけたのかもしれない。
 ……そう、信じてる。

      
・◆ FIN ◆・



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